2019年05月14日

小学生がYoutuberとなって不登校宣言を行ったことについて

史上最長のゴールデンウィークが明け、日本のあちこちで若者が自殺したというニュースが駆けめぐりました。
これら自殺の原因はいじめであったり、学力不振、学校の雰囲気になじめなかったなど、様々な理由が想像できますが、やはり長期間の休暇が明けて、いざ学校へ行くとなると憂鬱な気持ちになってしまうのでしょう。自殺まではいかなくても、不登校も増えます。

児童や生徒が不登校になった時、もし自殺するリスクがあるというなら、無理に学校へ行かせるべきではありません。また、学校生活に楽しみを見出せなくなった児童・生徒は、自分よりも劣っている者を見つけて、いじめる側に回ることもある。そんな状態に陥るくらいなら、学校なんか行かない方がいい。だから、学校なんか行かなくてもいいじゃないかと不登校を支持する意見も多いと思います。

しかし、それはあくまで目先の問題を先送りにするだけの対症療法であって、自殺リスクを回避する一方で、学校に通わないということは、学ぶ機会を失うのだから、登校している生徒に比べ「学力の低下」という、別のリスクを伴うことになります。

そんな中、沖縄県の小学校に在籍する、ゆたぼんと呼ばれる10歳の小学5年生が、学校に行くことを拒否し、Youtuberとして生きていくことを宣言した動画が話題になっています。
義務教育中の、しかもまだ10歳の小学生が、学校での学びを拒否し、動画を配信するという事態に、新聞やテレビなど、マスコミが取り上げて、子どもの自立を促すとか、新しい子育て法とか、既存の学校教育に捕らわれない生き方として称賛される一方、ネットでは子どもを甘やかしすぎとか、父親が子どもをだしにして商売をしている、10歳の子どもが自らの生き方を決定するのは異常など、賛否が問われています。

この状況について、マスメディアやネットの情報だけを収集して、私が是非を述べるのはどうかとは思いますが、こうした不登校問題の考え方を示しておきたいと思います。

憲法や法律に書かれた義務教育のあり方

日本国憲法
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


学校教育法
第17条 保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子が、満12歳に達した日の属する学年の終わりまでに小学校の課程、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部の課程を修了しないときは、満15歳に達した日の属する学年の終わり(それまでの間においてこれらの課程を修了したときは、その修了した日の属する学年の終わり)までとする。
A 保護者は、子が小学校の課程、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを中学校、義務教育学校の後期課程、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部に就学させる義務を負う。
B 前二項の義務の履行の督促その他これらの義務の履行に関し必要な事項は、政令で定める。

第144条 第17条第1項又は第2項の義務の履行の督促を受け、なお履行しない者は、10万円以下の罰金に処する。


これがいわゆる「義務教育」の根拠条文です。保護者は、子どもを学校教育法上の小学校・中学校に就学させる義務を負っていて、それに従わなければ督促の後に10万円以下の罰金という罰則規定まで設けてあるのです。つまり、条文を杓子定規に適用すれば、親は子どもが6歳になったところで、学校教育法上の小学校へ就学させる義務があり、親の教育方針でフリースクールに行かせるとか、インターナショナルスクールへ進学させるといったことは許されません。ただし、それは建前で、病弱や発育不完全やその他の事情で就学できない場合については、就学義務を免除される旨の条文もあります。

学校教育法
第18条 前条第一項又は第二項の規定によつて、保護者が就学させなければならない子(以下それぞれ「学齢児童」又は「学齢生徒」という。)で、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者に対しては、市町村の教育委員会は、文部科学大臣の定めるところにより、同条第一項又は第二項の義務を猶予又は免除することができる。


つまり、ただ勉強したくないという不登校も、フリースクール等の代替教育施設を選ぶことも、積極的に外国語教育を行うためのインターナショナルスクール等のいずれを選んだとしても、子どもの就学義務を果たしていることにはならないものの、「既存の学校教育が合わない」とか、「もっと適切な教育を受けさせたい」など、何らかの理屈をつけさえすれば、保護者は学校教育法上の義務を果たさなくても構わないという状況です。だから、児童虐待が疑われる場合を除き、まず刑事罰の対象にはなりません。

不登校から起業して立派な経営者になった人もいれば、最高峰の大学を出ても犯罪者になった人たちもいるように、教育を受けようがうけまいが、親が納得し、子どもも望むのであれば、敢えて普通の教育を受けない選択も批判すべきではありません。

しかし、日本の公教育は、子どもを学ぶ環境に置き、学習指導要領に従った体系的な授業を受けることができ、他人とのコミニュケーションを図ることで非認知能力(忍耐力・社会性・感情コントロール)を育むことができます。諸外国と比べて優れている訳でもなければ、きめの細かい教育が行われている訳ではありませんが、平日の大半をこうした環境に置くことで、社会に適合した人格形成を行っていくことができるという利点があります。また、我が国の公立の小中学校においては、授業料は無償とされているのですから、コストパフォーマンスの点から見ても、通わせるべき教育施設であると思っています。

でも、就学することが困難というのであれば、不登校もやむを得ません。


転居先においても就学困難なのか

問題の10歳のYoutuberゆたぼん氏は、大阪に住んでいた時、通っている小学校の教師が必要以上に宿題を課したり、居残り勉強をさせたり、不当な体罰があったという説明をしています。仮に彼の言う通り、問題の多い小学校であったとしても、それは大阪に住んでいた時の状況であって、今は沖縄在住です。沖縄の小学校も同様だったのでしょうか。それとも沖縄であれば、のんびりした環境だから、あまりうるさく言われなかったのかもしれませんが、保護者が現地で就学させる可能性を模索したのかが疑問です。
あくまで一般論としてでしかいえませんが、転居先の小学校にきちんと相談すべきだったではないでしょうか。

脳科学者の茂木健一郎氏はこの少年について、「学校に行くだけがすべてじゃない」とエールを送っています。確かに、学校へ行けない子どもに無理強いするのは良くないという意味では私も同意見です。だけど、学校へ行くことによって得られる知識や人間関係など、可能性を最初から否定してしまうのはどうかと思うのです。


アメリカのホームスクーリングを参考にすべきか

アメリカは、小学校を追われたトーマス・エジソンに対し、母親が自宅で教育したことでも知られるように、個々人の能力や状況に応じ、学校以外の場所で初等・中等教育を行うことが許されています。このホームスクーリングは、家族や家庭教師によって、自宅で学習させるという、学校教育を代替する制度です。教材を使って勉強する以外に、とりあえず机に向かうとか、絵本を読み聞かせるとか、生活の中で体験する様々な活動をレポートとして提出し、それを単位として認定し、小中学校を卒業したものとしてみなす制度です。これらは悪い制度ではありませんが、そもそも教師の代わりとなるになるはずの家族が適切に指導できるかという点が疑問です。全米でこの制度が導入されたのは、個々にあった適切な教育を施すというよりも、学校へ行かない子どもたちが犯罪に巻き込まれたり、ギャングに入らせないため、保護者などの大人が子どもから目を離さないための施策なのです。
確かに「アメリカでは学校へ行かなくても自宅で勉強させるのはよくあることだ」と、自由で明るい印象はありますが、実は「不登校には常に犯罪リスクと、低学歴・低学力の子どもが大人になっても定職に就けないというリスクも同時に存在する」ことを理解しなければいけないのです。


ゆたぼん氏を讃える人、批判する人

子どもが小学校へ行かず、Youtuberとして活動していることについて、私は彼の未来が想像できません。
学校へ行かなかった人でも、きちんと職に就いている人や、起業して立派な経営者になっているケースもあれば、まともな職にありつくことができず、学歴不問の違法スレスレの職にしか就けない人もいるためです。
前者を想像している人は讃え、後者を想像する人は批判するのです。
Youtuberの業界についていえば、うまくやれる人は莫大な金が稼げるけれど、うまくやれない人は無茶な動画を作成して炎上して初めて閲覧されるという過酷な業界です。やはり、個性的な動画を作成する一方で、学校の勉強は人並みにこなしておくというのが、普通の大人の無難なアドバイスではないでしょうか。


子どもが学校をやめたいと言った時、親はどうすべきか

もしみなさんの子どもがゆたぼん氏と同じような状況で、「学校へ行きたくない」と言い出したら、どうすべきなのでしょうか。
ゆたぼん氏は、Youtubeというお金を稼ぐツールを得ているから、一種の職業訓練になっているともいえるのですが、やはり親としては法律上の就学義務を果たすために、公教育を受けさせる努力はすべきです。
まずは子どもとしっかり話し合うべきだと思います。学校へ行きたくない理由が、学力低下による教師との関係が原因なのであれば、親は教師と話し合って、解決策を模索すべきです。我が子の学力低下が教師の指導力によるものなのか、それとも子どもに発達障害のようなものがあるのかなど、スクールカウンセラーや学校長を巻き込んで、見極めなければならないと思います。
もちろん、本人が嫌がっているのに、無理に就学させてもPTSDを受けたり、ストレスから自傷行為などを起こすような状況なら、近隣の学校へ転校させたり、フリースクールやサポート校への転校も検討すべきかと思います。ただ、フリースクールやサポート校は授業料が高いケースもありますから、経済状態が悪いのなら、せめて安価な学習塾など、国語や算数などの一部の学習を補助してもらうくらいの学習機会を検討すべきです。


不登校の問題は、どうしても学力が低下してしまうことにあります。児童が成長し、学びの必要性を感じ、心機一転して学ぼうと思っても、そもそも基礎学力が低いと学ぶモチベーションを維持できません。その結果、何をやっても、どこへ行っても何もできない状況に陥ってしまうのです。そして企業などは、学習経験のしっかりした人の方が、より多くの仕事を正確かつ短時間にこなすことができるという経験則を持っているため、一定の学歴を持っている人の方が採用されやすいのです。つまり、学校へ行かないとか、学習経験を積まないと、将来の選択肢の幅が狭くなってしまうのです。

自殺するくらいなら学校へは行かない方がいい。自分の好きなことで生きていきたい。
この言葉は一理あります。
でも、フランスの哲学者「ヴォルテール」は『その年齢の知恵を持たない者は、その年齢のすべての困苦を持つ』と述べたように、皆が学んでいることを自分だけが学んでいないことによって、様々な問題が生じます。こうしたリスクを理解した上で、どの道をどう選ぶかは、子どもと親の話し合いで決めていくべきかと思います。

posted by まつもとはじめ at 08:14| 神奈川 ☁| Comment(0) | 不登校問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

橘学苑の教員大量退職問題について

学校法人橘学苑(横浜市鶴見区)が運営する中高一貫校で、非常勤の教員が大量に退職している問題で、私もマスコミからコメントを求められました。フジテレビの「とくダネ」の報道を頼りに、ちょっと調べてみました。

「とくダネ」によれば、「新聞やテレビで6年間で120人が退職した」と報じられている一方、4月13日の保護者会では、「実際に辞めたのは6年間で63人」と説明。63人という情報が正しいとして、その退職者のうち他の学校や企業に採用が22人、本人の希望21人、家庭の事情12人、任期満了6人…といった感じだそうです。

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また、この学校は、中高一貫の学校なので、中学3年と高校3年のあわせて6年間の課程です。ここに900人の生徒がいて、教員数は80人とのことでした。
「教員の数は充足しているのか」という問題に対しては、中学校設置基準と高等学校設置基準によれば、生徒40人に1人の教諭がいればよく、法的には23人で満たすので、若干の誤差が生じたとしても、正規が40人、非正規40人、あわせて80人の教員がいるのですから、違法ではありません。

中学・高校の設置基準では、正規の教員のことを「教諭」、非正規の教員のことを「助教諭」や「講師」と呼びますが、今回の問題はその非正規教員の講師が、非常勤のまま雇用され、5年たったら正規雇用を求める権利を有するはずなのに任期満了として解雇されるという状況が問題といったところでしょうか。学校側は「任期満了は6人」と説明していますが、非正規講師として採用されたはいいけれど、先輩講師を見て、正規雇用の道は険しいと思っているからこそ、他の学校に移ったり、一般企業に転職するのではないでしょうかね。「非正規じゃ嫌だからやめる」という主張だって、見方を変えれば「本人の希望」だろうし、結婚や介護でやめる「家庭の事情」だって、給料が低いとか不安定じゃ結婚も介護も大変になるじゃないですか。
また、大学でも非常勤講師が実質的に大学教育をまかなっている例がたくさんあるように、「非正規からの正規雇用」というニンジンをぶら下げて、ブラックな学校運営を講師にまかせていて、給料やキャリアには反映されない学校行事に動員されていて、「はい、任期満了で退職願います」なんて言われて頭に来る先生もいそうですよね。

橘学苑がこのような状況かどうかはわかりませんが、保護者説明会で一方的に小岩利夫校長が閉会を打ち出すところを見ると、なんとなく理事長の意向が見え隠れします。そう、私学の校長って、実は経営側、つまり理事長には逆らえない関係にあります。ワンマン経営でセクハラ・パワハラが横行した大学がいくつもやり玉に挙がってきましたよね。
そして橘学苑は、創設者の子孫と思われる、土光陽一郎理事長が同校のトップを務めています。この方が、どういう方針で学校経営をしているのかは存じませんが、私が見てきた「しくじり学園」の多くは、同族経営だったり、学校の宣伝のためにクラブ活動に注力したり、偏差値の低さをごまかすために特別進学クラスを設けたり、スポーツで目立つことを考えてプロの指導者を厚遇したりと、まるでコピペのような学校運営になりがちです。

しかし、教育現場にいる人たちは、やはり生徒の日々の学習を支えることを大切にします。光の当たるスポーツ推薦組や特別進学クラスではなく、成績はトホホだけどまじめな生徒が大多数な訳で、そんな生徒たちにしっかりと勉強できるように指導するのが学校の本分だと思うのです。おそらく、生徒に寄り添ってがんばっていた先生が、正規雇用の道を断念したことを残念に思った生徒や保護者が声を上げたのではないでしょうか。

だってそうでしょう?
現場で良い仕事をしている人が、学校や社会をより良くしようとして生徒を指導していた人が報われない社会ってどうですか。
「どんな先生でもいい」、「安かろう悪かろうでもいい」と思うなら、わざわざ金と手間をかけて私学に通わせますかね。

また、校長が「私立学校なので私が判断した」と述べていたりもしました。誰を雇い、どういう教育方針で行き、誰を解雇するかの自由は確かに学校側・経営側にあります。私学なんだから、不服なら学校をやめればいいということなのでしょう。
しかし、説明責任はあるでしょう。なぜならそこらへんの私塾ではないのです。学校教育法の一条校なのです。学校法人は税制上優遇されているし、私学助成金も給付されているのです。経済的に困窮している生徒は就学支援金を使って入学するのだから、実質的な学校の予算は税金でまかなわれていると言っても過言ではありません。

非正規雇用が悪いとはいいません。しかし、非正規雇用するなら、先生たちに5年後のキャリアをしっかり組み立てさせてあげなければ、結局、ブラック企業と同じ構造になってしまうじゃないですか。生活に不安を抱えたまま、高度な仕事をさせられるという姿を、生徒たちに見せていいのですか。

あと、東京福祉大学などで有名になったワンマン・同族経営にありがちなのは、家族を雇用したり、腰巾着みたいな人を厚遇したり、セクハラのターゲットに正規雇用のエサをぶらさげたりと、やりたい放題の経営方針もあります。

橘学苑に何が起こったのかは私はわかりませんが、学校側はしっかりと説明し、教育者といっても間違うことはあるのですから、改めるべきところは改めるべきだと思います。



中学校設置基準(平成十四年三月二十九日文部科学省令第十五号)
 (一学級の生徒数)
第四条 一学級の生徒数は、法令に特別の定めがある場合を除き、四十人以下とする。ただし、特別の事情があり、かつ、教育上支障がない場合は、この限りでない。

 (教諭の数等)
第六条 中学校に置く主幹教諭、指導教諭及び教諭(以下この条において「教諭等」という。)の数は、一学級当たり一人以上とする。
2 教諭等は、特別の事情があり、かつ、教育上支障がない場合は、校長、副校長若しくは教頭が兼ね、又は助教諭若しくは講師をもって代えることができる。
3 中学校に置く教員等は、教育上必要と認められる場合は、他の学校の教員等と兼ねることができる。


高等学校設置基準(平成十六年文部科学省令第二十号)
(教諭の数等)
第八条 高等学校に置く副校長及び教頭の数は当該高等学校に置く全日制の課程又は定時制の課程ごとに一人以上とし、主幹教諭、指導教諭及び教諭(以下この条において「教諭等」という。)の数は当該高等学校の収容定員を四十で除して得た数以上で、かつ、教育上支障がないものとする。
2 教諭等は、特別の事情があり、かつ、教育上支障がない場合は、助教諭又は講師をもって代えることができる。


教員大量退職で神奈川県が調査へ 横浜の私立中高一貫校 産経2019.4.17 18:41
 横浜市鶴見区の学校法人橘学苑が運営する中高一貫校で非正規雇用の教員が大量退職している問題で、神奈川県の黒岩祐治知事は17日の記者会見で、学苑に県職員を派遣して雇い止めなどがなかったかどうかを調べると明らかにした。
 学苑の説明では昨年度までの6年間で常勤、非常勤講師63人が退職している。大量退職についての報道を受けて県が学苑に確認したところ、「ここ数年で一定の退職者が出ているが、新たな雇用も行っている」との回答があった。
 生徒の保護者からは学校の収益に不明瞭な点があるとの情報も県に寄せられているといい、黒岩知事は「どういう実態があるか調査していきたい」と述べた。


posted by まつもとはじめ at 06:37| 神奈川 ☁| Comment(5) | 教育問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月28日

京都造形芸術大学に起きたハラスメント訴訟について

京都の美術大学で、卒業生が出席した公開講座で、性暴力や児童ポルノを題材に授業が行われた。
参加した女性がこのような授業はセクシュアルハラスメントであるとして提訴したというこの事件。
私は取材者ではなく、報道ベースでしか知らないので、この3つの記事を読んだ感想を述べたいと思う。

■性暴力や児童ポルノを題材に…大学の公開講座を「セクハラ」と提訴!美術モデルが怒りの会見
■「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴
■会田誠氏らにゲスト講義で自慰写真など見せられ「セクハラ受けた」 美術モデルの女性が提訴

まず、記事によると、この授業は公開講座であって、学位や卒業を目指す学生が卒業に必要な単位を修得する目的で受講するものではありません。あくまで、教養として、あるいは趣味として受講するものです。今回、講師として批判されている会田誠さんの作品は、エロすぎるもの、グロすぎるものが多いと聞いています。私は今回初めて知ったので、どの程度の知名度かは存じませんが、会田誠氏が講師であることを事前に告知されているのであれば、「ああいうポルノじみた作品を題材にするのだろう」という想像はできるのだから、現実にそのような題材・教材を用いて授業が行われても仕方がないものだと思っています。
まして美術大学における授業という位置づけならば、第一線の芸術家が行うのですから、エロであろうとグロであろうと、刑事法的には猥褻とされるものであっても、あくまでそれらの作品を題材にした学問なのだから仕方ありません。嫌なら受けなければいいし、授業を受けてから気づいたのであれば教室から出るべきだったのではないかとも思います。

これに類するものとして、例えば医学部の授業。患部の映像や手術の見学・実習などでは、例外なく、見たくもない場面を見なければなりません。法医学なら腐乱した死体もある。法学部では強制性交の罪に当たる事件を研究することもある。生物学などではヒトや動物の排泄物を研究するからそのような画像を資料として公開することもあるでしょう。そして美術大学で裸体を描くのであれば、局部をあらわにした裸の男女を見ることになるし、ポルノと評価されるものも教材として使うと講師が判断したのなら、その方針に従うべきです。

大学の授業である以上、そしてどんな授業であるかはあらかじめわかっている以上、どんな授業を行うかの選択は大学が招聘した講師の考え方次第で自由であるべきだし、卒業に関わる授業でないのならなおさらで、いちいち「不適切」と述べてしまうと、自由な芸術活動も研究もできません。したがって、上記の記事を読んだだ感想として、私は女性の請求は棄却されるべきだと思います。

しかし、私はその授業を受けていませんから、実は必要以上に猥褻な表現があったとか、ネットで拾ってきた児童ポルノ画像を使って性的欲求を満たすような授業だったとか、不快な顔をする女性を見て講師が喜んでいたなんて事実が出てくるかもしれません。要は程度問題だと思います。記事を読んだだけの私は、その「程度」がわからない以上、これ以上の言及はできず、その授業の一部始終を映像で見せられたとしても、結局は人それぞれのとらえ方次第だと思います。私は男性だから、女性が考えるセクシュアルハラスメントとはとらえ方が違うので、何とも申し上げることはできません。不愉快に思われたらすみません。



■大学のハラスメント対応窓口はきちんと対応したのか

一方で、大学のハラスメント対応を行う窓口は機能したのか、私はそこに興味を持ちます。

記事によれば、原告の女性は大学のハラスメント窓口に苦情を申し立てたとあります。

仮に担当講師が、いわゆる本当のセクハラおじさんだったと仮定しましょう。ゼミの女子学生には片端から手を出して、単位と引き換えに性的な行為を求めるような人が、女子学生によからぬことをやったとします。今回の場合、芸術とは名ばかりの、本当に不適切な教材を使って、多くの女性が羞恥心を抱くような猥褻な表現を繰り返して、本当に女性を不快にさせていたと仮定します。

ハラスメント窓口は、受講生がわざわざ通報してきたのですから、問題を起こす講師が、大学側の知らないところでヤバい授業を行っていたものと仮定して調査し、問題を関係者で共有し、限度を超えたものならば当該講師を処分しなければなりません。
しかし、記事を見る限りでは、大学のハラスメント窓口は原告女性の主張をスルーしていたように受け留められます。
なぜなら、当の会田氏は「寝耳に水」と表現しています。




大学のハラスメント窓口は、被害者とされる学生の側に立って、学生間のいじめや教授からの不当な扱いなどの通報を受け付けて、調査し、裏付けを取った上で当事者に指導するという建前で運営されています。しかし、現実のハラスメント窓口は、たいていただの学校職員です。ただでさえ通常業務で忙しいのに、イレギュラーな、しかも解決しにくい余計な仕事を持ち込まれたらスルーしたくなるに決まってるじゃないですか。それが普通です。「ことなかれ主義」である方が、職員にとっては楽なのです。

そんな状況下で、受講生が授業に文句を言ってきたら、職員は「あなたにも非があったのではないか」などと言い放つ方が簡単ですよね。

かつて私が慶應義塾を提訴したときなんて、まさにそんな感じでしたよ。大学の運営に問題があり、通信教育課程の部署に電話して「訴訟でもしなければ改善してくれないのか?」と聞いたら、女性の職員に「ど〜ぞどうぞ、好きなだけ訴えてください」と言われました。「ちゃんと調べて折り返し電話します」じゃなくて、「文句があるなら訴えろ」と言われたら、そりゃ訴えるでしょう。

また数年前、私は当時の2ちゃんねるに膨大な誹謗中傷記事を書かれたことがあります。シンガポールの運営会社を提訴して犯人を突き止めたら、その犯人は某私立大学の現職の教授でした。その教授の勤務先のハラスメント窓口に通報したものの、大学は放置したので、私はその教授と大学を相手取って訴訟を提起したことがあります。裁判所は「名誉毀損で違法」と判断した行為が歴然とあるのに、大学側は放置するのですから、たいていの大学のハラスメント窓口なんて、何も機能していない、ただのガス抜き窓口なんじゃないかと確信しました。

今回の事件で、きちんと確認しなければならないのは、京都造形芸術大学のハラスメント窓口において、通報が行われたら、誰がどの程度調べるかというマニュアルがあったのか否か。普通はそういうものが存在してるはずなのですが、マニュアル通り調べて、ハラスメントの事実確認ができたのか否か。そして問題解決の方法として、問題の講師に改善策を相談・要求するなどの事実があったのかどうか。

上記の会田氏のツイッターによれば、大学側は事実関係を調べず、講師本人に問い合わせもしていないことになります。
授業の内容について何らかの通報があった時、それがハラスメントなのか否か、誰かが苦痛を受けないか、社会通念上問題があるのではないかと、調査して改善策を講じるべきだと思いますが、大学はそれができていたのでしょうかね。

結局、問題解決能力も権限も無い職員が担当し、調べたふり、話を聞いたふりだけして放置するもんだから、当事者の女性が司法の判断を仰ぎたくなるのではないかと、邪推してしまいます。

京都造形芸術大学さん、エロ・グロでも芸術であって、セクシュアルハラスメントには当たらないと主張するのであれば、それこそハラスメントの事実をきちんと調べ、当事者女性にも真摯に説明した上で、胸を張って行くべきではありませんか。

もちろん被害者とされる女性が被害妄想のような人である可能性もあるかもしれません。だけど、事実関係きちんと調べずに、会田氏にも問い合わせせずに放置したら、そりゃ大きな問題に発展するでしょう。
posted by まつもとはじめ at 02:13| 神奈川 ☔| Comment(0) | 教育機関の不正・犯罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月04日

野田市教育委員会の愚行について

2019年1月24日、栗原心愛さん(10)が死亡したことについて、某マスコミの方から意見を聞かれたので、ざっとまとめておきます。

私の意見の前提となる取材は、全て報道によるもので、意見は私が過去に取材した似たようなケースをもとに述べたものであります。

まず、事件の流れを追うと、

2017年11月6日に小学校がいじめアンケートを開催し、このアンケートに「家族からの暴力を何とかしてほしい」と書いた心愛さんを翌7日に一時保護。ここまでは良かった。しかし、いつまでも保護する訳にもいかないので、翌12月に保護を解除し親族宅での生活を条件に保護を解除。ある意味、ここまでは仕方がないことかもしれない。

一連の経過を知りたいと思った父親(容疑者)は2018年1月12日に野田市に対して娘の書いたアンケートを見せろと要求。いったんは拒否したものの、心愛さんの同意書を持参し、市教委はコピーを渡した。

あれから1年が経ち、心愛さんが浴室で死亡した。

心愛さんの死亡について、一番悪いのは父親。それを見て見ぬふりをした母親。だからこの2人が逮捕されるのは当然。
ただ、問題なのは野田市教育委員会。

いじめに関するアンケートをコピーして親に渡したらどうなるか。
だって、犯罪被害者が書いた被害届を犯人に渡すようなものですよ。しかもその犯人は、これからずっと生活を共にする家族であり、衣食住を提供する側ですよ。物理的な暴力そのものは顔の傷とか見ればわかるけど、暴言やネグレクトなど、傷の残らない方法にシフトしたり、新たに先生に告げ口をしたら殺される恐怖を植えつけられるに決まっているじゃないですか。
その状況で書かれた同意書なんてあてになるはずありません。

被害者本人がどうにかしてほしいと言うのはよほどの勇気が必要です。勇気を振り絞って述べた彼女が1年経って死亡した。これは生命の危険を感じた時に、一番頼りになるはずの「親」、そしてその次に交流できる大人として「教師」、この二者に裏切られた子どもに、第三の道などあったのでしょうか。

私は小中学校で、同級生や先輩から壮絶ないじめを受けたことがあります。私は親に言っても、教師に言っても、解決することがありませんでした。なぜなら、一度は加害者に注意しても、二度目からは被害者に対して口止めをするからです。あれから30年以上経過していますが、今でも私はあの時の恐怖や絶望感を忘れられません。

一方、野田市教育委員会の職員にも同情すべきところはあります。
今回の容疑者たる父親は、モンスターペアレンツまたはクレーマーであります。こういうクレーマーは、あからさまな暴力は使わなくても、暴言や執拗な面会要求を行います。効力の有無はともかく、市長・市議会議員に通報するとか、訴訟だ弁護士を依頼するなど、連日のようにクレームをされると、職員にしてみれば「将来起こるかどうかわからない重大な事故(死亡とか)」よりも、「目先の事故(職員の能力不足が露呈したり、時間が取られてしまうこと)」を確実に防ぐ方が簡単なのです。ラクなのです。
教育委員会の職員、しかも事務局に常駐する職員は、いわゆる市の事務職員か、教員資格を持った教員からの出向です。子どもに対するトラブル対応はできても、その親に対する対応力は乏しいのが普通です。また、政令市などではトラブルに慣れた職員や市の顧問弁護士に依頼できる態勢がありますが、野田市くらいの規模では少数の職員がいくつもの業務を兼務していることがたくさんあります。

もともと要求されていない能力が必要な上、人材不足・人手不足の中で、目先の仕事を終わらせることで「解決」としてしまう気持ちもわかります。

だからといって、こんなことを許してはいけません。なぜなら、今回のいじめアンケートは、開示しちゃいけないことはスクールカウンセリングの基本中の基本で、本人が開示を希望していないものについてはもちろんのこと、開示を了解していると言われても、暴行犯人と児童の関係を見れば、家庭内でどのようになるか、想像がつかない方がおかしい。
大学出たんでしょ?
教員免許取れたんでしょ?
ヤバい親とかクレーマーの知識は少しくらい持っているんでしょ?
その程度の認識の人が、教育の現場にいて、教育委員会を組織していることについて、問題視しなければいけません。

公務員には告発義務がありますよね。その義務をきちんと履行する方向で、最初から警察に相談しておけば良かったのではないかと思います。


野田市教育委員会、虐待女児を“見殺し” 「いじめアンケート」回答コピーを逮捕の父親に渡す  専門家「軽はずみで非常識」

posted by まつもとはじめ at 16:52| 神奈川 ☀| Comment(0) | 教育問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月31日

親からの児童虐待事実をその親に伝える…千葉の小学校はそんなに程度が低いのか

子どもが虐待を受けているかもしれないという情報を得て、その虐待の加害者(父)の求めに応じて子どもの被害告知を差し出すって、おいおい、この小学校、何考えてるんだ?

いくらなんでもそれはまずいってわからないのか?

何のための教員免許だ?

スクールカウンセリングの基本は「子どもが望まないのに親や友人にばらしちゃダメ」っていうものじゃないか。

訴訟を起こされようが、殴り掛かられようが、子どもの秘密を守れない学校って、千葉はそんなにレベルが低い学校がある地域だったのか?

もちろん、問題があったのはこの父親。子を殴ることも殺すことは最高に卑劣だから、少なくとも20年は国の施設で団体生活していただくべきだけど、子どもを守れない小学校ってどうなんだよ。


「父からいじめ」アンケート回答、市教委が父親に渡す 千葉女児死亡
 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅で死亡し、父勇一郎容疑者(41)が傷害容疑で逮捕された事件で、市教委は31日、心愛さんが2017年11月に「父からいじめを受けている」と訴えた学校のアンケート結果を容疑者に伝えていたことを明らかにした。県柏児童相談所には経緯を説明しておらず、市教委は「不適切だった」としている。

 市教委などによると、心愛さんは17年11月6日に当時通学していた市立小学校で実施された全児童向けのいじめに関するアンケートで「父からいじめを受けている」と告白。その後の学校の聞き取りに「母のいないところでたたかれる」などと説明していた。市を通じて連絡を受けた柏児相が翌7日に心愛さんを一時保護した。

 勇一郎容疑者は一時保護を受け、学校に「通報したのか」「訴訟を起こすぞ」などと詰め寄った。保護は同12月27日に解除されたが、容疑者が「アンケートで(被害を訴えていることが)分かったんだろ。実物を見せろ」などと学校への不信感をあらわにしたため、学校から連絡を受けた市教委職員が翌18年1月15日、心愛さんが被害を書き込んだアンケート用紙のコピーを容疑者に渡した。

 容疑者の意向によって、心愛さんは直後の18日に野田市内の別の小学校に転校させられた。いじめアンケートは転校先でも2回行われたが、心愛さんが「父からのいじめ」を訴えることはなかった。

 市教委は「子供が恐ろしさを感じていることを父親にも知ってもらいたかった。一時保護に対する怒りを抑えてもらう狙いもあった」と釈明。一方で「配慮を著しく欠いていた。大変申し訳ない」と陳謝した。

 東京都内の児相に勤務していた元児童心理司の山脇由貴子さんは「非常に問題のある対応だ。父親のクレームに屈して子どもが責められる材料を作り、子どもの安全を守るという本来やるべきことが後回しになった」と指摘。その上で「この対応によって(心愛さんが)被害を訴えられなくなった可能性がある」と話した。

 森田健作・千葉県知事は31日の定例記者会見で、一時保護後に自宅を一度も訪問していなかった柏児相の対応などについて「隙間(すきま)があったのは事実」と述べ、第三者委員会を設置して検証する方針を示した。また、今年1月から学校を長期欠席していたことを柏児相が死亡直前まで把握できなかったことから、県は所管する6児相に対し、在宅指導中で約1カ月程度安否確認ができない状態の児童がいないか、早急に確認するよう通知した。【斎藤文太郎、町野幸】

posted by まつもとはじめ at 15:50| 神奈川 ☁| Comment(0) | いじめ問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする