
これは東京新聞11月17日の投書欄にあった、斉藤知英氏「小沢氏裁判報道反省を」の画像。
3年前、マスコミを通して陸山会事件のことを知り、「やっぱり小沢は汚い金を貰っていた、悪い政治家なんだな」と、極めて素直に感じた私だが、いろんな情報を通じて、この事件に対して疑念を抱くようになった。
(1)あれだけ政治資金はオープンにすべきだと唱えていた人が、なぜその政治資金規正法で検挙されるのか
(2)西松建設をはじめとする、多くの建設業者から、数千万円も貰えるほど、影響力のある政治家なのか
(3)なぜ検察は二度に渡って不起訴にしてしまったのか
いくらマスコミの報道をひっくり返して見ても、正直なところ、全く理解できない。
なぜなら、西松建設事件は、起訴事実になっていないのだからそもそも論外。
政治資金報告書に虚偽記載したといっても、単なる期ズレである。税金の申告と比べれば、明らかに修正申告で済む話だ。
商店でいう、「売り上げ除外」などではなくて、入金も支出も合っているけれど、それが数ヶ月ずれていたというだけの話。
なんでそれが東京地検特捜部の案件になってしまうのか、そして特捜が動きながら不起訴になってしまったのか。
不起訴なら不起訴でいいんだけれど、それをどうして検察審査会が「起訴相当」と判断できて、強制起訴に至るのかも理解できない。
検察審査会は、本来は警察や検察がいいかげんな捜査をして、その結果不起訴にした時に、「検察の職務怠慢」を戒めるために市民が起訴を指示するって仕組みである。
東京地検特捜部があれだけがんばった案件で、なぜ起訴相当が出てしまうのかもよくわからない。
そして前回、小沢一郎被告の一審判決で、「無罪」が言い渡された後のTBS「サンデーモーニング」で、ジャーナリストの岸井成格さんが「小沢さんはクロ!」と発言したのを私は忘れない。
なんでこの無罪判決に対し、岸井さんが「クロ!」と言えるのか、私はどうしてもその理由が知りたくて、石川知裕議員に直談判して陸山会事件秘書事件の一審判決の判決要旨をいただいた。
陸山会事件小沢事件については、ネットに転がっていたのを拾って読んだ。
ハッキリ言う。
判決要旨を最初から最後まで読んで、検察が主張したこと、弁護側が主張したことをきちんと理解した上での私の意見は、秘書事件も小沢事件も、どちらも当然に無罪にならなければおかしい事件。
「クロに近いグレーな無罪判決」と評価する人もいると思う。
しかし、あの判決要旨を読んで、あれが「グレー」などと言う人がいるなら、私はその人の日本語読解能力を疑ってしまう。
端的に言えば「バカ」か、「陸山会事件で小沢氏が有罪になってくれなければ困る人」であろう。
つまり、陸山会事件秘書事件(一審)については、判決理由部分は無罪を示しているのに、結論部分ではなぜか「有罪」としているのだ。
判決書きとはそんなものだといわれればそうかもしれないが、私からすれば、裁判官ともあろう人物が、判決理由で無罪の事件を、主文で「有罪」と書けてしまう、この裁判官は恐ろしいと感じた。
一方、陸山会事件小沢事件(一審)については、争点は3つあった。
(1)そもそも強制起訴に至った手続は妥当だったのか否か
(2)秘書らが行った行為は有罪に値するものなのか
(3)秘書らの行為が有罪だったとして、それが小沢本人が指示・了承(共謀)していたものなのか
結果として、(1)は妥当、(2)も有罪に値する、しかし(3)の共謀関係は無かったというのが小沢事件の一審無罪判決である。
しかし、そもそも(1)検察審査会が適正に機能したのかどうかが疑わしいし、(2)秘書らの行為は少なくとも禁固刑に当たるような行為ではないのだから、(1)〜(3)のいずれにおいても無罪と判断すべきであった。
ところが、いち裁判官が検察審査会の判断を無効と判断するのは影響が大きいし、秘書らの行為を有罪と判断している他の裁判官の判断を批判する訳にもいかない。
そこで、致し方なく、「共謀関係は無かった」と判断するしかなかったと読み取れる。
そして先日11月12日、小沢一郎被告は、東京高裁で公訴棄却を言渡され、あらためて「無罪」となった。
私はこの一連の事件について、少なくとも小沢一郎被告個人には、「グレー」などと表現できるところなどひとつもない、完全な無罪であると確信した。
同時に、石川知裕被告ら、元秘書3人に関しても、無罪という印象を抱いた。
もちろん、わずかとはいえ、「誤った報告書を作成したのだから」という理由で、落としどころとして罰金刑くらいは覚悟しなければならないかもしれない。しかし、禁固刑というのは執行猶予の有無に関わらず、やり過ぎ。
もしこの程度の書き間違いでも禁固刑というのであれば、世の中の経営者は税金の申告書を提出するに当たり、刑務所に入るリスクまで考えなければならないということになる。
「国会議員や議員秘書なんだから、ミスしたら当然に逮捕・起訴・禁固刑」なんてことがまかり通ったら、納税者も同じ目に遭うということだ。
「法の下の平等」とは、良くも悪くも、「同じミスを犯したら、同じ目に遭う」ということなのだ。
さて、虚偽報告書の問題をさんざん色眼鏡で分析してきたマスコミの人間。
特に、自ら判断して意見を述べることのできる人たちは、結果的に「虚偽報道」を行ったことになる。
まさか、「国会議員の虚偽は許せないけれど、自分の虚偽はスルーされるべきだ」などと思っていないことを祈る。
まずは小沢一郎氏の名誉を回復させるための検証報道が必要ではないか。