2021年08月01日

教育虐待をする親、された子に関する私見



このアベマプライムで報じられている「教育虐待」と呼ばれる子への過干渉は、昔から批判の対象になっています。

私が小学生の頃(1980年頃)は、昭和のアニメには「教育ママ」と呼ばれ、ザマス眼鏡をかけて子どもに学習塾へ通わせて…という典型的な人がいて、私の周辺でも、月水金はそろばん、火は習字、木はスイミング、土は補習塾と、あらゆるお稽古ごとをさせている家庭がありました。

私は学童保育は小学校1年生だけ、そろばん塾は1ヶ月だけ通ったものの、小学校以外の習い事を拒否したこともあって、特に干渉されることはありませんでした。塾などを拒否した代わりに干渉もしない、好きなだけテレビを見て、暇な時間は図書館へ行き、ある程度の小遣いを貰ってマンガを買うなど、自由にやらせてくれた家庭だったと思います。

そんな私は、中学を受験するという同級生に誘われ、「川崎予備校」という中学受験のための予備校のおためし講座を受講することになりました。期間は夏休みのうちの2週間でしたが、開成中学へ行けば東大へ行けるとか、大学附属の中学に入ればそのまま大学へ入れるという話に興味があったのです。

しかし、驚いたのは、おためし受講といえど、入塾テストのようなものがあり、そのテストの順位で教室の席順が決まります。私の席は最後尾。おためし受験だから最後尾かと思っていたら、初日にいきなり、ひとつ前列の男子に「おまえはビリじゃねーか」と嘲笑されたのでした。当時、小学校でそこそこの成績を誇っていたつもりでしたが、そういう仕組みだったことに驚き、自分が最後尾であったこともショックでしたが、ひとつ前列の男がほんの少しの点数の差で他人より地位が高いと思っていることに驚いたのです。

1日2時間、国語と算数の授業は、それはそれは気持ち悪いものでした。
毎日、難解な宿題(私立中学受験の入試問題)や応用題を出題され、それをやってこない者は怒鳴られてビンタされるのです。
それでもその2週間、通い続ければ何か面白みが湧くのかと思いきや、その予備校の粗さだけが気になり、なぜこのような暴力を受けてもこの学校に通い続ける連中がいるのかとか、教師にここまで抑え付けられてやる勉強に意味が見出せず、平然といじめをする者もいて、私は2週間のおためし期間満了と共にやめました。

当時、一介の小学生だった私ですが、「暴力で抑え付ける教育は、暴力的な子しか生み出せない」ということがわかったのです。私の同級生で、この予備校にしっかり通った人たちが4人いましたが、悲しいかなその4人は本当に暴力的で、小学校では「虐待は虐待を連鎖させる」を体現したような連中でした。

その川崎予備校の問題点は、ことあるごとに学校名を出さずに記事化してきましたが、コロナの影響で昨年廃校したと聞きましたので、実際の名前を出して批判しておきたいと思います。

私は第二次ベビーブームの世代です。「親は中卒の労働者」みたいな家庭が多かった時代で、「大学さえ行けば食いっぱぐれることはない」と思われていた時代でもありました。そこにつけ込んだのが、スパルタ教育で子どもに反復学習をさせて目先の学力を向上させ、何がなんでも私立中学へ入学させて結果を出すタイプの塾や予備校でした。

ただ、当時の私はずっと疑問でした。
「死ぬほど勉強させて目当ての私立中学に入学させたらその先も死ぬほどの勉強が必要なのではないか」

その疑問まさにその通りでした。
勉強に楽しさを見出せない子どもが、暴力で成績を向上させた場合、その先も暴力が伴わなければ学力は向上しないのです。
いや、100人の成績不振者のうち、ひょっとしたらきっかけが暴力だっただけで、本当に勉強に興味を持って向上する人が、2〜3人いるかもしれません。しかし、その2〜3人が「暴力的な教育こそ学力を向上させる」と思い込んだらどうなるか。いわゆる「生存バイアス」というやつです。「私はこの方法で生き残れたのだから、同じ方法でみんな生き残れるはずだ」という思い込みです。

そして、100人の成績不振者全員が暴力で成績を向上したものの、特別な2〜3人以外の、つまり残りの9割以上の者は暴力がなければそれ以上向上せず、しかも思春期を迎えて勉強をやめてしまうのです。

サンプル数が少なくて申し訳ないのですが、私の同級生で川崎予備校を経て私立中学に入学した人たちのその後の進路を聞けば、悲しいかな偏差知的には中堅クラスの大学名しか出てこなかったのです。小学校高学年の多感な時期に、暴力的な教育を受けたとしても、その先が保障されているという訳ではなく、どちらかといえば無難な学歴に落ち着いてしまったのです。

むしろ、勉強そのものがトラウマになり、大人になってから学ぶことを極端に嫌がります。
「うちは貧乏で勉強するチャンスがなくて、大学なんて選択肢も無かった」という人は、「放送大学で簡単な科目から始めよう」と、初歩から勉強しようという気になるけれど、「子どもの頃、早慶あたりにいけない奴はバカだ」と言われ続けてきた人は、放送大学なんて名前に触れるだけでも嫌でしょう? こうなってしまうのです。

ドラゴン桜というマンガ・ドラマが大人気です。私も好きだし学びの大切さが説明されているのもすばらしい。ただ、そのドラゴン桜に懐疑的なのも、「東大へ進学すればプラチナチケット」とか「東大以外は目指すな」という結論だけにとらわれる勘違い野郎が出てきてしまうんですよね。

大学名が人生を変えるのではありません。あなたが日々、何に興味を持って実践しているかで変わるのです。

で、廃校した川崎予備校ですが、40年前の暴力教育も、教育虐待なんてことが認知される時代の変化と共に、ここ数年はマシになったのかもしれません。しかし、コロナ禍で廃業したということは、時代の変化についていけなかったのが最大の廃業要因だったのかもしれません。

posted by まつもとはじめ at 15:11| 神奈川 ☀| Comment(0) | 教育問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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