大学教授になってから、病気をしたために書けなくなったという話ではありません。
これといった論文を発表することなく、スキルもないまま、大学の教授になれてしまった、不幸な人の話です。
大学院で博士を取得し、それなりに論文を発表し、あちこちの大学で非常勤講師を務めながら、なんとか食いつないでいる、高学歴ワーキングプアがあちこちに存在する一方で、たまたま採用された大学でポストが空いてしまったために、とんとん拍子で教授になれてしまった人がいます。
それって、ものすごく美味しい話です。彼はこれといった論文を発表せず、有名大学を出たことと、指導教授が業界では超有名人だったということから、その有名教授の弟子というだけで、無名私大の教員というポストに恵まれてしまった人がいたのです。
ポストに恵まれすぎたということは、逆にいえば、学者・研究者としての体力を鍛えられず、いきなりエースで4番の地位に祭り上げられてしまうということと同義です。
その結果、その恵まれすぎた教授は、自分の研究スキルや論文作成能力のなさが露呈してしまうことを恐れ、論文らしい論文を書かないままま、50歳を過ぎてしまいます。
論文を発表する機会を自ら拒絶し、批判・批評に曝されることのないようにしていくと、加齢とともに、研究スキルはますます稚拙になってしまいます。論文を書かないことを批判されないよう、他の研究者が手を付けないような、特殊な分野を勉強し、他人と議論する時は、その特殊な分野を口にして煙に巻くということで、乗り切ります。
勤務しているのは無名の私大だから、大学院に進学してくる学生も大したことはないのですが、それでも学生は「この教授、ひょっとしてアホなんじゃないか」と気づきます。
しかし、学生の分際で指導教授を批判するわけにもいかないから、大学院生は黙って卒業するか、中退して他の大学院へ進学してしまいます。
そうしているうちに、またポストが空いて、その教授は学部長になってしまいました。
論文をほとんど発表していない、自称研究者で大学教授。それでいて大学院生の指導もできるという地位。そして学部長です。それでも誰も批判しないうちは、「スキルの無い教授がスキルのない学生を輩出するだけ」となるだけだから被害は少ないのですが、教授ポストが空いて、新たに大学教授を採用する段になったとき、論文の数も多くて頭脳明晰な研究者を教授として招き入れようではないかという話が沸き上がり、当の研究者にオファーをした後に、学部長はとんでもない行動を起こします。
「これから招聘しようとしているあの研究者は、過去にこんな愚かな過去がある」と、学内で怪文書を流布したのです。そして教授会で、さも他人がばら蒔いたかのごとく、「このような文書が回っているので、彼の招聘はやめようかと思う」と述べます。
しかし、教授会では誰も問題視しません。なぜなら、その文書を流布した犯人は学部長であろうということがすぐに予想できてしまったのです。
そして教授会では、坦々と「そんな文書はデマであろう」、「これといって裏付ける証拠はない」という判断になり、教授として招聘することが確定します。
テレビドラマなどでは、ここで「学部長、そんな文書を撒いてはずかしくないんですか?」と正義感を持った主人公が出てくるところなのですが、誰も学部長を咎めません。
なぜなら、他の教授は、誰もが学部長に研究者としてのスキルがあるとは思っておらず、彼の地位を脅かす後進が出現したことで怖がったことを即座に見抜いたのです。それどころか、学部長が普段から論文をほとんど書いていないことなどから推察して、彼の学位論文についても剽窃ではないかと疑われていたほどだったのです。
だから、水面下では「あの学部長がやった」と理解した上で、優秀な研究者を教授として招き入れたのでした。
ポストが空いたからといって、その地位にそぐわない人材を就任させてしまうと、後にその大学の品位を貶める、とんでもないことになってしまう実例なのでした。
学部長の人生は、一見すると、一流大学を卒業し、学位も取って大学教授になり、学部長まで務めるという、すごく充実した人生に見えます。
しかし、好きな学問を追求したわけでもなく、誰かと切磋琢磨したわけでもなく、大学教授を演じるだけの虚飾の充実感と、ただ生きていくためだけに、学者ごっこをしていただけの人生だったのではないでしょうか。
これほど悲しい大学教授って、いったい何なのでしょう。
その学部長はどこまで知ることができたのかはわかりませんが、あの怪文書を流布させた張本人は自分であると、いつかバレる日が来るのではないかと、戦々恐々として定年の日を迎えたのではないでしょうか。
このような残念な教授が1人いるせいで、大学教員のスキルがある人が正規雇用されず、社会の底辺を歩かされていると思うと、すごく残念です。
しばしば、テレビドラマなどではスキルの乏しい研究者(例:ガリレオに出てくる栗林宏美助手)がいます。しかし、スキルが無いのに、肩書ばかりが大きくなってしまう不幸は、本当に不幸です。なまじ教授クラスになると給料が高いし、権限も多いものだから、もっとすごいポストが用意されないと、そうそう辞めるわけにもいかない。定年まで勤めたくなるのが人情です。
不幸な教授が不幸な学校を運営し、不幸な学生を生み出していく。悲しいスパイラルなのではないかと私は思います。
たまに力のある教授のコネで大学教員になる方もおられるようです
指導している学生のかずについて
博士卒の数
研究者のポストについた学生の数
現在指導している学生の数
その教授の論文の質、投稿している頻度、
などをデータかして、公表すべきだと
思う。大学教員でニートや詐欺士と思えるくらい無能な人はいるよ。
大分タイムラグがありますけれど、
コメントさせてください。
気付いて頂けるかな?
日本は学位がなくても、博士号が無くても
特別な才あれば、教授になるのは
可能だそうですが、それは偉大な安藤忠雄氏
のような方ならわかります。
でも、今、問題になっいる
加計学園は、学位が無くても、
博士号無くても、論文が無くても、教授として
長年雇用してるようですね。
私の知人は苦労して博士号を
40代で取り、講師、助教授と、
少しずつ上がって行きました。
何もないのに教授って…
わけがわかりません。
恥ずかしくないのかなぁ?
生徒さんはそれで良いのでしょうか。
今世の中どーなっているの?
教育に対する努力とは情熱とは何なの?
わけがわからなくなります。