いくつかのメディアに学校の校則についてのコメントを求められることがあったので、私の見解を示しておきます。
校則と懲戒(禁止されてはいるけれど体罰を含むとします)の関係は、法律と罰則規定の関係にあるため、これらの関係を論じないで意見を述べることは適切ではないため、懲戒について述べます。
「懲戒」とは、学校教育法施行規則に定める退学、停学、訓告のほか、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為として、注意、叱責、居残り、別室指導、起立、宿題、清掃、学校当番の割当て、文書指導などがあります。
懲戒の中に「体罰」は含まれていません。なぜなら、学校教育法11条に規定があるからです。
学校教育法 第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。
体罰は極端な暴言などもありますが、ここでは分かりやすくするため、「殴る」、蹴る」などの暴行として説明します。
■殴る蹴るは許されないが、違反する生徒・児童には懲戒しても構わない
こう考えると、殴る・蹴るなど暴行でさえなければ、つまり児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、校長・教員は、注意、叱責、居残り、別室指導、起立、宿題、清掃、学校当番の割当て、文書指導などをすること自体は禁じられていないということになります。これは体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知)で、具体的に書かれています。
学校を運営するに当たり、学生・生徒・児童が秩序を乱すような行為があったり、教育上必要だと思うのなら、学校は懲戒することができます。その懲戒を定め、刑法でいうところの罪刑法定主義、「何をしたらどのような懲戒を受ける可能性があるのか」を各学校は校則という形であらかじめ制定しておくというものです。
つまり、学校は秩序を守り、充実した教育サービスを提供するために、校長・教員に一定の権限を持たせ、校則の制定と懲戒権を持たせているということになります。立法・行政・司法が分かれている「三権分立」とはほど遠いものの、形式的にはPTAなどと協議の上で校則を定めたり、職員会議で合理的な検討を行う学校もある一方で、その時代や地域の特性によって学校長に一任していた学校も多いと思います。
ものすごくざっくりいえば、高所得世帯の多い地域やまじめに学業を優先させるといった地域特性があるのなら、厳しい校則は必要ないし、あったとしても服装が少しくらい乱れていても適用することは少ない。逆に理性的な話し合いができない人が多く住み、何事も暴力で決着させることが多い地域では、厳しい校則を制定して、守らない生徒には有形力の行使を厭わない教員を配置する必要性も理解できます。
今回、このような記事が出されました。
「身だしなみ校則は人権侵害」父親の弁護士が民事調停を申し立て
公立中学校の校則で定められている身だしなみに関する事項は人権を侵害するものだという指摘があったとのことです。
この指摘は、小学校6年生までは私服や自由な髪形での登校が問題なかったものが、中学に入学した瞬間から急に校則が厳しくなり、郷にいれば郷に従わざるを得ないのは理不尽であるという主張は理解できます。
私も中学生の時は同様の理不尽さを感じつつ、「郷に従う」という服従していました。
■校則の身だしなみ規定は生徒の家庭環境を知るためにある
私は昭和50年代に、川崎市立の中学校へ入学しましたが、男子は短髪(スポーツ刈り等)、女子の髪は肩までという校則がありました。実は既に有名無実化しており、パーマ・染髪・剃り込みでなければ特に注意されることはありませんでした。
実は服装や髪形についての厳しい校則は,家庭や交友関係など、生活環境の乱れを察知することために作られた規定です。
例えば「短髪」と定められているのに、髪がボサボサになるまで放置されている場合は、親がネグレクトしているとか、きちんと食事を与えていないとか、衛生環境の悪いところに放置しているのではないか、親子のコミュニケーションが十分ではないのではないかといったことが想像できます。女子学生においては、いきなり華美な服装・髪形になっていると、悪い交友関係・異性関係にあるのではないか。親から虐待を受けているのではないかなど、一定のシグナルとして察知することができます。
子どもの自由な活動を親が認知していて、学業の成績もさほど問題がなく、それでいて子どもが少々変わったことをやっているのなら問題はないけれど、成績が悪く、服装が華美になっているとすれば、何らかの問題があるのではないかとわかるのが服装・身だしなみ規定です。敢えて先生に目をつけられるような服装をして自己承認欲求を満たす生徒の存在も理解できますよね。
だから、学校が生徒の成長を測るため、一定の校則を課すのも、服装や身だしなみの規定を策定するのは合理的であると私は考えます。
■ツーブロック、ポニーテール禁止は適切な校則なのか
金髪に染めるわけでもなく、かつてのリーゼントやアイロンパーマのような、反社とか暴力団とか暴走族とか昔でいうところの「不良」を呼び起こす髪形でもないのに、ツーブロックやポニーテールという、どちらかといえば無難な髪形を禁止する必要があるのかという議論があります。
私はツーブロック・ポニーテール禁止は行き過ぎだと思っています。ここはあくまで私の主観ですが、どちらも高価な施術料金は必要ではありませんし、どちらかといえば安価でさっぱり・さわやかさを演出できる、無難な髪形だと思っています。床屋や美容院できちんと整えて貰い、適度に自分で整えていえば問題ありません。
最近はポニーテールが男性を欲情させるといった校則の存在理由を述べる学校があるようですが、そこまで中学生が性的対象として見られるのを防ぎたいのであれば、そもそも学生服は男女問わずパンツ(ズボン)タイプにすべきです。
■問題は取り締まり方
例えば、「下着は白」「靴下も白」という校則について。下着・肌着の類は常に清潔にすべきで、きちんと洗濯をすべき。汚れ・黄ばみ等が目立つから白にすべきというのは合理的だと思っています。医師・看護師が白衣を着用しているのと同じ理由です。
しかし、教員免許を有しているだけの教員が確認していいのは「靴下が白」までであって、男女問わず、下着の色を確認することまで強制するような運用は行き過ぎです。
「下着は白が望ましい」として、保護者や生徒に説明するまでは構わないのですが、それ以上は行き過ぎです。
本当に健康上の問題がある時だけ、養護教諭が対応する程度にすべきです。
■トンデモ校則問題の背景は「教員の合理的思考力不足」
例えば私の経験した話。中学校入学時、制服着用の上で学生帽の着用が義務とされていました。学生帽を着用しなければならない理由は、「落下物や事故から頭を守るため」と説明されていました。確かにこの規定は合理的です。
しかし、中1の3学期、つまりあと2カ月で2年生に上がる頃に、私は学内で学生帽の盗難に遭います。ただの紛失だと思って職員室に紛失届を出したものの、見つかりません。母に事情を伝えると、もう少し探しなさいと言われました。当時、私の家庭は裕福ではなかったため、学生帽を買うとなると、だいぶ親に負担をかけてしまうからです。
そこで、学生帽をかぶらずに登校すると、生活指導の先生から、いきなりゲンコツで頭を1発殴られます。翌日は2発殴られ、さらに次の費は3発です。
そもそも私は盗難被害者であって、その私を殴ることも理不尽ながら、学生帽の着用義務の根拠は「落下物や事故から頭を守るため」のはずです。頭への衝撃を避けるための帽子が無い生徒の頭を殴るというのは許せません。しかし、それを不憫に思った母は学生帽を買ってくれたのです。これで教員から殴られることはありません。
ところがそのすぐ後、4月からは学生帽の着用義務が廃止となりました。
ここで得られたのは、この頃の校則は生徒・児童の安全ではなく、「学校の秩序」を守るためのものでしかなかったという、実に愚かな教訓でした。盗難被害者の人権よりも、学生帽をかぶってこない者を懲戒する。生徒の安全のための学生帽が無い場合はあえて生徒を危険にさらす。形式的なきまりを守らせるために、本質的な意味を忘れてしまっては意味がありません。
私の子どもの頃の先生たちは「でもしか先生」と呼ばれ、大学を卒業したら教師にでもなるか、教師にしかなれないという、指導力の乏しい先生たちが多かった時代でもあります。
今はそんな時代でもありませんので、規則そのものは厳しく策定しておきつつも、合理的な判断をしながら柔軟に適用していくべきだと思います。