2012年08月24日

高卒の従業員が採用後に大卒になった時の待遇

大学評価・学位授与機構からは、今年の4月申請の人たちの学位記が届き始めているようです。

合格したみなさん、おめでとうございます。ぜひこの学士を使って、より高度な学びを実践したり、より良い職に就かれることをお祈りします。

残念ながら不合格だったみなさん、懲りずに何度でも挑戦してください。
今回のあなたのレポートを審査した先生が、たまたま今回だけ厳しめに採点したという可能性もあります。

さて、私の著書『短大・専門学校卒ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本』をめぐってしばしば議論になる「機構の学士は大卒か否か」の問題は、実は「就職の時に大卒として処遇されるのか」ということでも意見や判断が分かれます。

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機構の学士は就職活動で大卒扱いをされるのか

この質問に関しては、日本の「新卒一括採用」という、特異な就職制度もあって、ちょっとややこしくなります。

例えば、高校を卒業して3年制の専門学校に進学・修了してすぐに放送大学の選科履修生などで31単位を修得した人がいたとします。専門学校を修了後の4月に放送大学へ入学し、破竹の勢いで31単位を修得し、半年後の10月に学位授与機構に申請したとしても、学位授与機構は受理してくれません。
3年制の短大・専門学校(第2区分)を基礎資格とする場合は、卒業・修了の時から起算して「1年以上にわたって学修せよ」ということになっています。
ちなみにこの「1年以上の学修」というのは、1年間は履修登録しろという意味ではなく、「機構に申請するのは1年後から」という意味です。

すると、2010年4月に3年制の看護専門学校に入学した人は、2013年3月に修了。その時から1年後に申請資格を得るということは、最短で2014年4月に申請し、8月に学位記を入手できるということになります。
つまり、とんとん拍子に行ったとして、学士を得ることができるのは高校卒業から数えて4年半後ということになります。よって、4年制大学をストレートに卒業する人に比べて半年遅く学士を取得することになります。

ただし、短大専攻科や高専専攻科の卒業生は、例外的に専攻科の卒業見込みで申請できるため、4年制大学と同じタイミングで学士が得られますが、専攻科を利用するケースは激減しているため、ここでの説明は割愛します。

つまり、学位授与機構の学士は、4年制大学に比べて「半年遅い」というハンディキャップがあり、「新規学卒」の「卒業」に該当するかどうかと考えると、ややこしくなるため、一般企業では「ややこしい学歴の人がきた」と、あまり印象が良くないかもしれません。
また、リクルートなど運営する「リクナビ」など、ウェブの就職サイトでは、学位授与機構のような例外的なものは学校種類にも掲載しておらず、大学名一覧にも無ければ、短大・高専専攻科についても掲載がありません。

それでも、積み上げ単位を修得するために科目等履修生として在学した大学名を入力し、その後の面接などで事情を説明して理解してもらったというケースを取材したことはあります。

つまり、学位授与機構は、新規学卒採用で就職するためには、決して適当な学歴ではなく、説明や先方の理解が必要な、イレギュラーな「大卒」ということになります。
もっとも、イレギュラーだから大卒ではないと言い始めたら、外国の大学を卒業した人などは、全てイレギュラーだし、説明も必要だし、その国の高等教育制度まで説明しなければならない訳ですから、想定していた制度と違うからダメなどと、一概に述べることはできません。

さて、この記事の件名は「高卒の従業員が採用後に大卒になった時の待遇」であって、学位授与機構の学士の「大卒性」について述べるものではありません。
要するに、採用時の学歴が、採用後に変更された場合、どうなるかという話です。
もちろん、就職先と一口にいっても、大企業から中小零細企業、官庁や団体職員などもあるので、千差万別ではあります。高卒採用の男性が、放送大学を卒業したら翌春から大卒待遇にしてくれたというケースもあるし、MBAや修士を取っても全く考慮してもらえなかったというケースもあります。

高卒採用の人が大卒待遇になれるとき

経営者の立場からすれば、高卒の人間が大卒になったところで、すぐに生産性が上がるわけでも無いのに高給を約束するなんて嫌だし、だいたい人件費が安いという理由で高卒を10人採用したのに、全員が大卒になって高給を約束したら2〜3人リストラしなきゃならないという事態に陥ります。
従業員の立場からすれば、大卒になったのだから大卒待遇をしてもらいたいのは当然だけど、その結果、今度は自分がリストラさせられる立場になるとすれば、高卒のままでいいという判断もあるでしょう。

また、人事業務というのは、単純に大卒を揃えればいいというものではありません。大卒には大卒としてのスキルを求め、司令塔としての役割ができる社員2人にサポート的な役割が適正な社員8人を付けて、10人のチームを組むなんてことをします。つまり、入社の時点で、ある程度の役割分担が決まっているため、個々人が学歴をアップグレードしたという理由だけで、そうそう大卒相当の立場に昇格させるなんてことは無理なのです。

働きながら学び続ける人に、昇進についての話を聞くと、「金の問題じゃない、学びたいんだ」、「生涯学習が自己実現なのだ」という回答が返ってくることがあります。もちろんそれはそれで良いと思います。私自身、教育制度関係の本を書くのに、いくつも学位を取っているのは金の問題ではありませんし、投資として考えると、元本割れしていますから。

しかし、私は、高卒採用や短大・専門卒採用の人が、単純に昇進・昇給を狙って大卒を目指すことを無意味だとは思いません。いや、むしろ、高卒採用の人は、通信制でも夜学でもいいから、大卒やそれに類する学歴を取っておいた方が、はるかに有利だと私は思います。

なぜなら、雇用の流動性が、様々なチャンスをもたらすからです。
ある企業のある部署で、大卒2人、高卒8人で成り立っているところがあったとします。あなたは高卒採用のうちのひとりだとします。もしここで、その部署で突発的な問題が生じ、大卒2人が辞めてしまったとしたらどうなりますか。寿退社、産休、逮捕された、死んでしまったなど、計画に無かった事情で欠員が出てしまう場合です。
企業としては、今まで、大卒2人、高卒8人でやってきた部署なのだから、大卒の従業員を連れてきたいところですが、大卒だからといって全くの門外漢を連れてくる訳にもいきません。しかし、高卒の中から1人を昇格させるとしても、大卒者を責任者にしてきた慣例を無視して昇進させるほどの適任者がいない。そんな時、あなたが高卒採用で就職後に通信制大学を卒業していたらどうでしょう。「大卒者だから」という大義名分が与えられ、昇進のチャンスが訪れます。
しかし、そのためには、会社に対して、「自分は高卒採用だが、通信制の大学を卒業した」ことを事前に告げていなければなりません。ただし、あなたは謙虚にこう言っておくのです。

「私は大卒になりましたが、高卒の待遇で構いません。大卒が必要になった時に思い出していただければそれで十分です」

そう、大卒になったからといって、あなたは偉ぶりません。一応、会社に報告するだけです。ただただ、会社に対して「都合のいい人」であり続けるのです。

もちろん、あなたが大卒になった瞬間、ものすごい大天才に変身し、仕事でも何でもこなせる大人物になれるというのなら、転職してもいいし、会社に「大卒待遇にしろ、ダメなら退職する」と要求してもいいです。
しかし、仕事があるだけマシなこの就職難の時代において、正社員として雇われているということ自体、幸せなことなのです。
4年制大学を卒業しても就職が決まらない人が多い中、高卒で就職して、働きながら安い学費で大卒になれたのですから、「必要があったら役に立たせてください」という立場で良しとすべきなのです。

もちろん、少しばかり偏差値が高くても、周囲の高卒の人たちがバカに見えても、あくまで謙虚にふるまうのです。マーチだ旧帝大だなどという話は、高卒の人から見ればただの自慢にしか聞こえませんから、そんなくだらない話はしないように努めます。
そして、大学で学んだ教養を武器に、職場の良いまとめ役になるのです。

すると、ある日、突発的な事情で部署のリーダー(大卒)たちがいなくなった時、あなたに昇進のチャンスが訪れます。
ふだんから謙虚で、大卒・高卒の分け隔てなく、職場をまとめてきたあなたを蔭でコソコソ言う人はいないし、あなたを昇進させた上司も「仕事はできるし、大卒だから昇進させた」という説明ができるので、責任を問われることもありません。
こうして、あなたは安い人件費だから高卒で採用されたはずなのに、今では大卒待遇で仕事のできる人材として期待されるようになっています。

「大学全入時代」といわれる現代において、大学を出ていないというのは、就職活動において一見不利です。しかし、大学を出ているからといって、今の日本経済の中ではなかなか就職させてもらえないのですから、職種によっては低学歴の方が雇ってもらえる可能性が高いこともあります。これは特に専門学校が顕著ですね。
しかし、その低い学歴で就職した人が、いちおう大卒になっておくことで、ある日突然昇進の機会を得ることができるのです。もちろん、仕事ができるだけでなく、同僚の妬みを感じないよう、「いい人」でいることが大切なのです。

ちょっと頭がいいからといって偉ぶっている人。他人を小馬鹿にする人。
地位が高いからといっていつまでも他人の功績を認めない人。
蔭に隠れて人の悪口を言い、自分の価値を高めようとする人。

……こんな人って、学歴云々の前に、あまり付き合いたくないですよね。

そう、学士が大卒とイコールかどうかなんて、ハッキリ言ってどうでもいいのです。
社会人が後から取る大卒や学士は、「仕事のできる人が、昇進を検討された時に、大義名分となり得るかどうか」だけの話なのです。

以上の理由から、私は社会人の大学・大学院進学をお勧めします。
そして「いい人」となって、より良い人間関係を築ける人が増えてくれればいいなぁ……と切に願っております。
posted by まつもとはじめ at 04:42| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学歴と就職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

外国人学校の高校無償化の問題点

民主党が政権公約として掲げてきた高等学校の授業料無償化について、2010年4月から実現されていますが、この「高等学校」に外国人学校を含めるかどうかについて私には意見があります。

報道などによると、特別永住権を有する北朝鮮出身者の子孫、つまり在日朝鮮人を対象にした、朝鮮学校高級部を現行法上の高校としてみなし、無償化の対象とすべきか否かについて、さまざまな理由から反対意見が出されていましたが、この私も、現行法上のままでの無償化の対象とすることには反対の立場です。

  ↑ ↑
賛成でも反対でも、ここだけ読んで感情的にはならないでください。特にツイッター経由の方で、冒頭部分だけ読んで反応される方がいるので、気をつけてください。

各種学校と専修学校
朝鮮学校高級部について、私は全てについての調査をしているわけではありませんが、例えば神奈川県横浜市神奈川区の神奈川朝鮮中高級学校は、学校の種別としては「各種学校」です。各種学校は、都道府県知事の認証する正規の学校区分です。

一方で、我が国には各種学校の上位にあたる「専修学校」という学校区分があり、更にこの専修学校には、専門課程、高等課程、一般課程の3つの区分があります。
このうち、「高等課程」で修業年限が3年以上の課程については、修了者に大学入学資格を与えることから、事実上の高校に該当し、高校授業料無償化(または助成制度)の対象となります。
現在、各種学校と専修学校の違いは、主に修業年限や授業時数の違いなどであることから、当該朝鮮学校も専修学校に昇格させ、当該高級部を3年制の高等課程にすればよいだけなのですが、神奈川県にこの事情を質問したところ、学校教育法82条の2に「我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く」という例外規定があるため、専修学校に昇格させることができないという回答を得ました。
つまり、現状において朝鮮学校高級部は、各種学校であり続ける限り、修了者に大学入学資格が付与されない問題もあいかわらず存在します。大学入学資格を付与できないまま、国が無償化の対象としてしまうと、大学入学資格を付与できないのに学費を助成するという矛盾が生じます。よって、現行法上のままでの無償化は反対です。

このような事情を勘案すると、無償化云々の話ではなく、まずは学校教育法82上の2の例外規定を削除する方が先決です。この規定を削除すれば、当該朝鮮学校高級部が専修学校高等課程昇格の途を選ぶことができる訳ですから、正規の高等専修学校になります。

しばしば、本件をめぐる議論の中で、本国の指導者やその政治手法、国交の有無を挙げ連ねて批判することがあります。しかし、本来は政治と教育とは無関係ですし、そこに通学する生徒たち(15〜18歳)は本国と我が国のいずれの選挙権もなければ、20歳を満たしていないのだから日本における制限能力者であり、まして国籍を有する外国の指導者の動向について責任を負う立場でないことは明らかです。

私は朝鮮学校の学校区分についての改正が無く、上述の政治的な問題で大学入学資格も無償化の対象にもならないというのは、ただ彼らの被差別感情を煽るだけで、決して良いことだとは思っていません。

以上のことから、学校教育法82条の2の例外規定を削除すべきだと思っております。

学校教育法
(目的・修業年限・授業時数及び定員)
第82条の2 第1条に掲げるもの以外の教育施設で、職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、又は教養の向上を図ることを目的として次の各号に該当する組織的な教育を行うもの(当該教育を行うにつき他の法律に特別の規定があるもの及び我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く。)は、専修学校とする。
 一 修業年限が1年以上であること。
 二 授業時数が文部科学大臣の定める授業時数以上であること。
 三 教育を受ける者が常時40人以上であること。
posted by まつもとはじめ at 19:06| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高等学校/高卒認定試験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

「准看護師」は看護師なのか看護師ではないのか

「准看護師は看護師なのでしょうか?」

この質問をすると、いろんな立場のいろんな方々がいろんな意見を述べると思います。

その意見を集約すると、2つに分けられると思います。

「准看護師は「准」が付くのだから看護師ではない」
「いや、看護師という大枠の中の分類として看護師と准看護師が存在するのだから看護師だ」

別にどうってことはない議論に、わざわざブログで説明をする必要は無いのかもしれませんが、まぁ、せっかくこのページに来たのですから、お付き合いください。

まず、看護師と准看護師には、それぞれの国家試験を受験する前提条件となる学歴区分があります。
簡単にいうと、中学卒業者を対象にした看護の学校を卒業した人が准看護師。高校卒業者を対象にした看護の学校を卒業した人が看護師です。また、准看護師資格を持った人が入学できる、「進学コース」と呼ばれる課程もまた、卒業すれば看護師となります。
この計算でいくと、准看護師は最短で17歳、看護師は21歳で資格が取れることになります。

※読者からの指摘で、「高等学校専攻科(一貫五年コース)修了」であれば20歳で看護師になれることがわかりました。すみません!

看護学校の入学資格が違い、准看護師の免許状は都道府県知事が発行し、看護師は厚生労働大臣が発行することなどの事情、そして保健師や助産師資格を取得するためには看護師資格を持っていることが前提とすることなどから鑑みると、やはり看護師と准看護師の資格は明確に違いがあります。
だから、少なくとも資格の種別として考えるのなら、准看護師は看護師ではないのだと思います。

しかし、それは看護業界、医療機関の内部の事情であって、医療機関を訪れる患者の立場からすれば、看護師も准看護師も全く同じです。熱や血圧を計りに来てくれた目の前の人が、普通に考えれば看護師であろうことは理解できても、仕事ぶりを見て、正准どちらかなんてことは、気にもしません。もちろん、仕事ぶりを見れば、放射線技士や理学療法士とは区別がつきます。

私は看護師ではありませんから、現実の医療機関での看護師と准看護師の業務内容の違いはわかりませんが、准看護師経験のある人から話を聞く限りでは、看護師も准看護師も業務の内容は基本的に同じであるが、基本給や昇進の可能性などで差異があるようです。つまり、この待遇について一言で述べるとすればこうなります。

「准看護師は中学卒業でもなれるレベルの低い看護資格だから、給料も低いし昇進しにくい」

これはごく普通のことかもしれませんが、私はこの部分に違和感があります。
医療機関において、同じ看護という職種の人が、「他者よりもレベルが低いこと」を前提に、同じ仕事に就かせて良いのでしょうか。
「医師」と「研修医」のように、明らかに経験年数が違う場合はともかく、例えば同じ35歳の看護師と准看護師がいたとします。看護師は高卒後3年間の養成課程を経るので、最短で21歳だから勤務年数は最大で14年。准看護師学校は、働きながら通うことも可能で、15歳から勤務ができるので、無資格時代も含めるとキャリアは20年、有資格者としてなら18年とカウントできます。勤務年数でいえば明らかに准看護師の方が長いのに、一律に准看護師を「レベルが低い」と割り切ってもよいのでしょうか。

例えば建築士の世界のように、「一級」>「二級」>「木造」 と、建築設計(確認申請)の範囲が明確な資格であれば、ふだんの仕事が同じであっても一級と二級の基本給が違って当然のようなイメージがあります。しかし、看護師と准看護師のように、業務の範囲が明確に分けられているわけではないものが、違う雇用条件で共存しているというのは、何かおかしくないでしょうか。

准看護師の「准」は、辞書でひくと「準」という字と同義だそうです。
法律用語で、「準ずる」とか「準用する」という言葉は、「同じに扱う」という意味です。
つまり、看護師に準ずるのだから、准看護師は看護師と同等に扱わなければならないはずです。
ところが、同等に扱うのは日々の業務内容であって、給与には格差があるというのは、やはりおかしいですよね。

こんな理屈ばかり考えていると、英検1級と英検準1級は同じかどうかとか、準優勝は優勝と同じなのかとか、明らかに差のあるはずのものが同じとなってしまうので、だんだん屁理屈に聞こえてきますが、何か言葉の使い方次第で、准看護師の人は都合よく使われているような気がするのは私だけでしょうか。

ちなみに、こうした不均衡というか不公平を是正すべく、「准看護師制度を廃止せよ」という動きはよく聞きます。私も同じような意見を持っていますが、少し私にも意見を述べさせていただけるなら、こういう改正ができるのではないかと考えます。

(1)看護師養成の制度をきちんと見直すこと
(2)「看護師」と「准看護師」の業務内容を明確に分けること
(3)現行の准看護師の看護師へのアップグレードを一定の条件のもとに緩和・簡略化させること
(4)制度改正後は現行の「看護助手」というあやふやな職業の担い手を全て准看護師とすること

こうしたことを条件に、看護師と准看護師の業務をきちんと分け、看護助手のような人材を准看護師として認めることで、准看護師制度を存続させることが妥当なのではないかと思っています。

ところで、あくまで私の経験に基づく個人的な意見ですが、現行の准看護師制度は、これはこれで良い制度なのではないかという印象があります。准看護師制度の廃止を目指す日本看護協会などは、「医師会が安い人材を確保したいから反対している」と主張していますが、現実の医療機関では先ほど述べた「看護助手」というあやふやな立場の看護関係者が看護師に準ずる、それこそ「准々看護師」のような立場の人もいます。特に看護の知識が無くても、「看護」の名称のついた職員がいるというのは、何かおかしいような気がするのです。
また、准看護師は、特に経済的に恵まれない女性が働きながら、安価な学費で手に職を付けられる、貴重な資格なのではないかという印象があります。

どう改正すればちょうど良くなるのかはちょっとわかりませんが、うまい制度改正がなされることをお祈り申し上げます。

繰り返しになりますが、私は看護師でも准看護師でもなく、看護師に知り合いが多いだけの作家ですから、深刻な事情や現実を知らずに述べています。失礼に感ずるみなさんがいたら謝罪しますが、もしご意見などがありましたらお寄せいただけたらと存じます。
posted by まつもとはじめ at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 看護師/准看護師/ナース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

いじめはいじめられる側に問題があるのか

私の記憶によれば、私は小学校以来のいじめられっ子体質で、その体質は今でも治っていないんじゃないかと思っています。「三つ子の魂、百までも」(3歳の子どもの性格は100歳まで変わらない)ということわざがありますが、その通りなんじゃないかと……。

よく考えてみれば、私は運動が苦手で学校の成績も特別良い方ではありませんでした。
なのに、振り返ってみれば、学校生活ではかなり異様なふるまいをしていたことから、変な意味で目立っていたし、いじめっ子の恰好のターゲットになっていた。学校生活で、少々変なことをしてもいいのは、運動会で活躍できる子か、頭の(学業成績)良い子と相場が決まっているのに、その相場に従わずに変なことをしていれば、そりゃ目立つし、突っ込みたくもなるだろう。
よく考えてみると、周囲の空気を読まず(読めず)、自分の主張を押し出してしまうこの癖が元凶なのかもしれません。

今になって思うと、周囲の空気を読まず、変なことを口走ったり、自分の思うことを実行したりするというのは、確かにいじめのターゲットです。それでいて腕力もなければ学業も適当となればなおさらです。

空気を読めない発言をするということは、時として人を傷つけることもあるわけです。そんな人が近くにいたら、とりあえず無視するだろうし、うるさかったら「おまえはウザイ」と言うだろうし、しつこかったら殴りたくもなるでしょう。空気の読めない人に、「もう少しこのコミュニティの空気を読め」というメッセージが、一つのいじめの原因といえます。
だから、経験者として述べるなら、いじめを受けて悩んでいる人は、まずいじめの原因が自分に無いのか、きちんと省みるべきだと思います。

ここまでは、よくある「いじめられるお前にも原因があるんじゃねーの?」で済ませる話です。

しかし問題は、そのいじめのターゲットにされた人が、そのターゲットにされた理由を告げられないまま、省みる機会も与えられないまま、またはターゲットにされた理由を改善しているのにもかかわらず、理不尽ないじめを受け続けるということです。もちろん、ターゲットにされた理由は単に空気を読まない行動もあれば、身体障害によるもの、顔や体の問題など、どうやっても改善できない問題を抱えている人もいます。

いじめられる側にいる人にとって、いじめを受けても仕方のない自分自身の原因が50として、その50までのいじめを受けるというのなら因果応報というか、「目には目を」で説明がつきます。
しかし、50に対して100とか、10に対して100など、不均衡ないじめに対して、いじめられた側の人はどう対処すべきなのでしょうか。

これが学校で起きた問題であれば、私は躊躇せずに「不登校」を選ぶべきだと思っています。少なくともこの行為で問題が顕在化します。普通の教師であれば、「何か原因があるはずだ」とわかるはずです。そして、躊躇なく教師に言いつけるべきだと思っています。できることなら弁護士を介入させて、法的な行動をとるべきだと思っています。

これが一般社会で起きた問題であれば、私はやはり躊躇せずに「法的手段」を選ぶべきだと思っています。
法的手段は、警察・弁護士・裁判所などを使うことから、「大げさ過ぎやしないか?」と疑問を持つ人も多いと思います。学校内のような、未熟な人たちが集まる場所でのいざこざなら、最初から警察に頼るのはよくないというローカルルールもありだとは思いますが、一般社会であれば、もう告げ口する相手もいないのですから、当然の行動だと思います。

ちなみに私は19歳の時に、大学のサークルで飲酒を強要され、そのサークルを退会するという手段を取りました。飲酒を強要した側は、「大人としてのたしなみを教えてやった」のかもしれませんが、私の受忍限度を超える強要はたしなみも何も、人間関係を円滑にするしないの問題を通り越しています。そして私は学長宛に手紙を書きました。法学部を有する大学で、20歳未満の学生に飲酒を強要するのはいかがなものかと。私の手紙が契機かどうかはわかりませんが、その後、神奈川大学は本格的に飲酒の「強要」には厳しくなり、学生の飲酒で多数の問題が発生する学園祭を3年間に渡って取りやめることになりました。学園祭の中止は学生にとっては不満だったかもしれませんが、私の行動が契機だとすれば、私の行動によっていくつもの命が救われたはずです。

あと、以前、私のブログで「殺す」と脅迫してきた人は、警察の捜査でドコモの携帯からの発信であることがわかり、IPアドレスから所有者を特定したところ、とある役所の職員でした。もちろん、彼は私を本当に殺す気はなかったと思いますが、私は厳罰を求めました。結局、彼は責任をとって辞職し、逮捕も免れて起訴猶予となりましたが、あれを放置すれば本当に殺人者となっていた可能性もある(大したことない脅迫に驚いて自殺する人がいます)わけですから、結果的に私は彼が人殺しになるのを防いだと自負しております。
なお、被害者がきちんと処罰意識を持って警察に通報(被害届・告訴状の提出)をすれば、仮に微罪だからという理由で今回は捜査がなされなくても、記録は残る訳ですから、同じことを行ったら次は逮捕となるようです。

余談が多くなってしまいましたが、結論です。
「いじめ」は間違いなく、「いじめられる側」に問題があります。この場合の「問題」とは、「原因」と同義です。
しかし、その問題を解決するために、暴力やその他様々な嫌がらせを用いるのは間違いです。もし誰かが不愉快な態度を取ったのであれば、せいぜい口喧嘩で済ませればよいのです。
そしてその「いじめられる側」になってしまった人は、絶対に放置せず、勇気をもって「不登校」を決め、教師への「告げ口」、そして警察への「通報」をしましょう。いじめられっぱなしで放置すると、いじめた側が別のターゲットを見つけてエスカレートするだけではなく、今度はいじめられたあなたの心に「嫌なことがあったら自分より弱い者を見つけていじめればいいのだ」という思いが目覚めてしまうのです。
いじめられたら、いじめた者をきちんと更生させるため、相応の手続を踏む。そのために司法制度や司法機関があるのです。
「いじめられる側の問題」を、より弱い「いじめられる人」に連鎖させないため、きちんと法的手続をとりましょう。

ちなみに私は、こんなことは絶対に無理だと思っています。著者の方、ゴメンナサイ。
   ↓
いじめはなくせる―教室ですべきこと [単行本] / 大西 隆博 (著); アニカ (刊)
posted by まつもとはじめ at 19:36| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | いじめ問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

なぜ学位授与機構の「看護学士」は大学の「看護学部卒」と同じなのか

以下の私の本を読めばひと通り書いてあることなのですが、題名だけを読んで「学位授与機構の学士は大卒じゃない!」と声高に、そして匿名で反論してくる人がいます。
正直なところ、金もかけず、読む手間をかけず、ネット書店の表紙だけを読んで反論されても困りますし、そんな人にタダで教えてあげる義理も無いのですが、そういう情報のタダ取りを要求する人に限って、勝手な思い込みをして「この本は題名からして誤っている」などというので、正直なところ迷惑です。

そこで、この際だからこのブログで「同じである」という理由を述べようと思います。

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短大・専門学校卒ナースが簡単に看護大学卒になれる本 改訂3版 ─総予算25万円で看護学士に!大学評価・学位授与機構活用法


まず、基本的な定義から述べたいと思います。
「大卒」というのは何を指すのか。日本では、大学を卒業することを「大卒」と言います。
大学には4年制の他、医療系の学部には6年制のものがあります。つまり、日本において大卒とは、この4年制大学か6年制大学を卒業することが原則です。
そしてこの4年制大学の卒業要件は、4年以上在学して、124単位以上を修得することとなっています。大学や学部によって140単位以上が卒業要件となっているところもありますが、それはあくまでも大学独自の規定であって、大学設置基準では124単位以上となっています。

さて、この「大学」ですが、短大や専門学校を卒業している人は、3年次に編入することができます。最近は3年制の短大・専門学校卒業者を大学の4年次に編入させる大学もありますが、ここでは放送大学を例にとって、「3年次編入」としておきます。

短大はあくまでも「短期の大学」であって「大学」ではありません。そして「専門学校」は専修学校の専門課程のことを指しますが、やはり「大学」ではありません。しかし、大学の3年次に編入できるということは、現実問題としては、短大や専門学校を卒業した者は、「4年制大学の2年次を終え、62単位を修得した者と同じ」ということになります。つまり、短大と専門学校は、大学の1年と2年のカリキュラムとイコールの関係にあるといって構いません。

そして例えば短大や専門学校を卒業した人が放送大学教養学部の全科履修生に3年次編入した場合、あと62単位を修得すれば、合計124単位を修得したことになって、卒業の認定を受けることができ、晴れて学士(教養)の学位記を受領することができます。

つまり、大学の1年と2年を満たした人は、大学で3年と4年のカリキュラムを経れば大卒となれるのです。
ここまでの理解は大丈夫ですよね?>みなさん

短大・専門学校卒ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本 増補改訂3版 ─2週間で書ける学修成果レポート!大学評価・学位授与機構で学士(看護学)をめざす (YELL books) [単行本(ソフトカバー)] / 秋場 研, 松本 肇 (著); ぼうご なつこ (イラスト); エール出版社 (刊)
短大・専門学校卒ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本 増補改訂3版 ─2週間で書ける学修成果レポート!大学評価・学位授与機構で学士(看護学)をめざす


さて、ここで例示するのは、「放送大学の3年次編入」です。

放送大学は入試がありません。編入に関しても同様です。

短大・専門学校卒の人、つまり「大学の1年と2年のカリキュラムを経た人」が、放送大学に編入学した場合、全科履修生の3年次に編入できて、所定のカリキュラムで所定の単位を修得し、それが62単位に達すれば、編入前の単位と合わせて124単位になり、晴れて卒業となります。
一方で、もし同人が、全科履修生ではなく、選科履修生・科目等履修生など、正規の学士課程ではない学生だった場合、62単位を修得しても卒業の認定はなされません。しかし、その後、同人が放送大学の全科履修生に編入学したら、今度は1単位も修得することなく、もう2年間の在学だけで卒業の認定を受けることができます。

つまり、大学卒業というのは、「短大や専門学校を卒業した人が、課程や学生の種別を問わず、62単位を修得した者のこと」とも言える訳です。62単位さえ修得すれば、後追いで全科履修生になればいいってことです。ただ、この「後追いで全科履修生」というのは、学生の努力や学力や偏差値に関わるものではなく、単純に「入学申込み用紙の全科履修生の欄に○を記入して金を払うだけ」の話です。申込み用紙と入学金の有無だけで、大学が「卒業」と認定し、卒業式に呼ばれ、学位記が授与されるのです。
何度も言いますが、選科・科目履修生と全科履修生は、入学金の額の違い、放送大学側の書類の処理の違いだけであって、本人の優秀さや努力とは全く関係がありません。

さて、ここで大学評価・学位授与機構の学位授与事業についての話をします。
大学評価・学位授与機構は、短大や専門学校を卒業した事実を「基礎資格」として取り扱います。この基礎資格には第1区分から第3区分までありますが、2年制の短大・専門学校卒業者なら「第1区分」と称します。
この第1区分の基礎資格を持った人は、既に62単位を修得しているものとみなされます。そして次に大学で62単位を修得することによって、短大や専門学校の62単位と大学の単位を合わせて124単位となります。簡単な足し算です。
大学評価・学位授与機構の学位授与事業は、文学とか社会学とか理学などの専攻分野に分かれていて、例えば看護学に関していうと、このトータル124単位のうち、看護の専門科目は40単位以上、関連科目は4単位以上、この専門科目と関連科目を合わせて62単位以上などといったいろいろややこしい要件をクリアし、かつ学修成果と呼ばれる卒業論文相当のレポートを提出して試験に合格した場合、学士(看護学)が与えられます。

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『新しい学士への途』の看護学のページより


放送大学など、4年制大学の「卒業」の認定と比べると、大学評価・学位授与機構の学位授与事業の学士認定は、その手続において大きく違わないことがわかります。それどころか、放送大学が「短大・専門学校の62単位」+「大学で62単位修得」のプロセスで卒業を認定するのに、大学評価・学位授与機構はそれに加えて「学修成果」と「試験」というハードルが残っているのです。

4年制大学では卒業論文を課さないところも多くなっている現在において、単位の他に学修成果を課すということは、学位授与機構の学士が「大学卒業と同じ」を通り越して、「大学卒業よりも高度だ」ということになります。

さて、学位授与機構の学士について「大学卒業ではない」とか、私の著書について「看護学士は看護大学卒ではない」と言い切っている方にお聞きしたい。

だ・か・ら、何なのでしょうか?

「卒業式」というセレモニーが無いから「大卒ではない」のでしょうか。
それじゃ、東日本大震災の影響で2011年の3月に卒業式を中止した大学の卒業生は大卒ではありませんね。

学位授与機構が「大学」ではなく、「独立行政法人」だから大卒ではないのでしょうか。
それなら国立看護大学校は大学の看護学部相当の教育と学位授与機構の看護学士が取得できるはずですが厚労省の一教育機関でしかないから大卒ではありませんね。

我が国においては、人事院の俸給規定、大学院入学資格、関係法規などで、いわゆる大学卒業と4年制の専門学校(高度専門士)と学位授与機構の学士は全て4年制大学卒業者と同等と定めています。
これを「大学の卒業じゃないから」という、稚拙な理由で「大卒ではない」などと言い続けるというのは、愚かだと思うのです。

最後に、たとえ話をしておきます。
生まれたときに、男性器があるから男性として育てられた子どもが、大きくなって遺伝子検査をしてみたら女性だった場合、いわゆる性転換手術をして戸籍上は女性として生活を送っているというケースがあります。
この人について「性転換をしているから本当は男だ」と言い張る人がいたら、バカだと思いませんか。
柔道のポイント制度に「一本」がありますが、これは「技あり」を2つ取ることでも「合わせ技一本」と呼んで「一本勝ち」と言います。これを「合わせ技一本は本当の一本じゃない」と言い張る人がいたら、バカだと思いませんか。
個々人の能力を見る訳でも無く、ただ「卒業」と「学士」の字面が違うだけで、我が国の法律で正式に認められた学士を「大卒じゃない」と言い切る人がいたら、やっぱりバカだと思いませんか。

そこでまとめです。
大卒だろうと学士だろうと、それはひとりの人間が経験した学修経験です。看護業界において、看護師としての能力について批判するならともかく、その学修経験を、他人のあなたが「大卒じゃない」と述べたところでどうなるのでしょうか。大卒じゃなかったらどうだというのでしょうか。学位授与機構の学士は全く無意味なものなんですか。少なくとも大卒相当の学修経験と卒論相当のレポートがあるのに、本人の努力とは全く関係が無い、大学側・学位授与機構側・文科省側の都合で卒業と認めないんですか。卒業そのものではないけれど、大卒相当であると法律まで作ってあるのに、それをなぜ大卒ではないと無責任に言えるのでしょうか。
私は法学部を卒業した者として、高等教育制度を研究している者として思います。少なくとも我が国の法律で認められた正当な学士を持っている人は全て大卒であり、その学士の専攻分野・区分に相当する学部を卒業した者としてみなして当然です。そうみなせない理由があるというなら、きちんと議論を挑んでいただきたいと思います。ただし、質問したり議論を挑まれる時は、匿名お断りです。最低限、お名前と出自をはっきりさせた上でメールを送ってください。

こちらは私の運営する学位授与機構解説サイトです。
大学評価・学位授与機構解説ページ GAKUI.NET
posted by まつもとはじめ at 01:08| 神奈川 ☔| Comment(7) | TrackBack(0) | 大学評価・学位授与機構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする