2012年08月22日

「准看護師」は看護師なのか看護師ではないのか

「准看護師は看護師なのでしょうか?」

この質問をすると、いろんな立場のいろんな方々がいろんな意見を述べると思います。

その意見を集約すると、2つに分けられると思います。

「准看護師は「准」が付くのだから看護師ではない」
「いや、看護師という大枠の中の分類として看護師と准看護師が存在するのだから看護師だ」

別にどうってことはない議論に、わざわざブログで説明をする必要は無いのかもしれませんが、まぁ、せっかくこのページに来たのですから、お付き合いください。

まず、看護師と准看護師には、それぞれの国家試験を受験する前提条件となる学歴区分があります。
簡単にいうと、中学卒業者を対象にした看護の学校を卒業した人が准看護師。高校卒業者を対象にした看護の学校を卒業した人が看護師です。また、准看護師資格を持った人が入学できる、「進学コース」と呼ばれる課程もまた、卒業すれば看護師となります。
この計算でいくと、准看護師は最短で17歳、看護師は21歳で資格が取れることになります。

※読者からの指摘で、「高等学校専攻科(一貫五年コース)修了」であれば20歳で看護師になれることがわかりました。すみません!

看護学校の入学資格が違い、准看護師の免許状は都道府県知事が発行し、看護師は厚生労働大臣が発行することなどの事情、そして保健師や助産師資格を取得するためには看護師資格を持っていることが前提とすることなどから鑑みると、やはり看護師と准看護師の資格は明確に違いがあります。
だから、少なくとも資格の種別として考えるのなら、准看護師は看護師ではないのだと思います。

しかし、それは看護業界、医療機関の内部の事情であって、医療機関を訪れる患者の立場からすれば、看護師も准看護師も全く同じです。熱や血圧を計りに来てくれた目の前の人が、普通に考えれば看護師であろうことは理解できても、仕事ぶりを見て、正准どちらかなんてことは、気にもしません。もちろん、仕事ぶりを見れば、放射線技士や理学療法士とは区別がつきます。

私は看護師ではありませんから、現実の医療機関での看護師と准看護師の業務内容の違いはわかりませんが、准看護師経験のある人から話を聞く限りでは、看護師も准看護師も業務の内容は基本的に同じであるが、基本給や昇進の可能性などで差異があるようです。つまり、この待遇について一言で述べるとすればこうなります。

「准看護師は中学卒業でもなれるレベルの低い看護資格だから、給料も低いし昇進しにくい」

これはごく普通のことかもしれませんが、私はこの部分に違和感があります。
医療機関において、同じ看護という職種の人が、「他者よりもレベルが低いこと」を前提に、同じ仕事に就かせて良いのでしょうか。
「医師」と「研修医」のように、明らかに経験年数が違う場合はともかく、例えば同じ35歳の看護師と准看護師がいたとします。看護師は高卒後3年間の養成課程を経るので、最短で21歳だから勤務年数は最大で14年。准看護師学校は、働きながら通うことも可能で、15歳から勤務ができるので、無資格時代も含めるとキャリアは20年、有資格者としてなら18年とカウントできます。勤務年数でいえば明らかに准看護師の方が長いのに、一律に准看護師を「レベルが低い」と割り切ってもよいのでしょうか。

例えば建築士の世界のように、「一級」>「二級」>「木造」 と、建築設計(確認申請)の範囲が明確な資格であれば、ふだんの仕事が同じであっても一級と二級の基本給が違って当然のようなイメージがあります。しかし、看護師と准看護師のように、業務の範囲が明確に分けられているわけではないものが、違う雇用条件で共存しているというのは、何かおかしくないでしょうか。

准看護師の「准」は、辞書でひくと「準」という字と同義だそうです。
法律用語で、「準ずる」とか「準用する」という言葉は、「同じに扱う」という意味です。
つまり、看護師に準ずるのだから、准看護師は看護師と同等に扱わなければならないはずです。
ところが、同等に扱うのは日々の業務内容であって、給与には格差があるというのは、やはりおかしいですよね。

こんな理屈ばかり考えていると、英検1級と英検準1級は同じかどうかとか、準優勝は優勝と同じなのかとか、明らかに差のあるはずのものが同じとなってしまうので、だんだん屁理屈に聞こえてきますが、何か言葉の使い方次第で、准看護師の人は都合よく使われているような気がするのは私だけでしょうか。

ちなみに、こうした不均衡というか不公平を是正すべく、「准看護師制度を廃止せよ」という動きはよく聞きます。私も同じような意見を持っていますが、少し私にも意見を述べさせていただけるなら、こういう改正ができるのではないかと考えます。

(1)看護師養成の制度をきちんと見直すこと
(2)「看護師」と「准看護師」の業務内容を明確に分けること
(3)現行の准看護師の看護師へのアップグレードを一定の条件のもとに緩和・簡略化させること
(4)制度改正後は現行の「看護助手」というあやふやな職業の担い手を全て准看護師とすること

こうしたことを条件に、看護師と准看護師の業務をきちんと分け、看護助手のような人材を准看護師として認めることで、准看護師制度を存続させることが妥当なのではないかと思っています。

ところで、あくまで私の経験に基づく個人的な意見ですが、現行の准看護師制度は、これはこれで良い制度なのではないかという印象があります。准看護師制度の廃止を目指す日本看護協会などは、「医師会が安い人材を確保したいから反対している」と主張していますが、現実の医療機関では先ほど述べた「看護助手」というあやふやな立場の看護関係者が看護師に準ずる、それこそ「准々看護師」のような立場の人もいます。特に看護の知識が無くても、「看護」の名称のついた職員がいるというのは、何かおかしいような気がするのです。
また、准看護師は、特に経済的に恵まれない女性が働きながら、安価な学費で手に職を付けられる、貴重な資格なのではないかという印象があります。

どう改正すればちょうど良くなるのかはちょっとわかりませんが、うまい制度改正がなされることをお祈り申し上げます。

繰り返しになりますが、私は看護師でも准看護師でもなく、看護師に知り合いが多いだけの作家ですから、深刻な事情や現実を知らずに述べています。失礼に感ずるみなさんがいたら謝罪しますが、もしご意見などがありましたらお寄せいただけたらと存じます。
posted by まつもとはじめ at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 看護師/准看護師/ナース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

いじめはいじめられる側に問題があるのか

私の記憶によれば、私は小学校以来のいじめられっ子体質で、その体質は今でも治っていないんじゃないかと思っています。「三つ子の魂、百までも」(3歳の子どもの性格は100歳まで変わらない)ということわざがありますが、その通りなんじゃないかと……。

よく考えてみれば、私は運動が苦手で学校の成績も特別良い方ではありませんでした。
なのに、振り返ってみれば、学校生活ではかなり異様なふるまいをしていたことから、変な意味で目立っていたし、いじめっ子の恰好のターゲットになっていた。学校生活で、少々変なことをしてもいいのは、運動会で活躍できる子か、頭の(学業成績)良い子と相場が決まっているのに、その相場に従わずに変なことをしていれば、そりゃ目立つし、突っ込みたくもなるだろう。
よく考えてみると、周囲の空気を読まず(読めず)、自分の主張を押し出してしまうこの癖が元凶なのかもしれません。

今になって思うと、周囲の空気を読まず、変なことを口走ったり、自分の思うことを実行したりするというのは、確かにいじめのターゲットです。それでいて腕力もなければ学業も適当となればなおさらです。

空気を読めない発言をするということは、時として人を傷つけることもあるわけです。そんな人が近くにいたら、とりあえず無視するだろうし、うるさかったら「おまえはウザイ」と言うだろうし、しつこかったら殴りたくもなるでしょう。空気の読めない人に、「もう少しこのコミュニティの空気を読め」というメッセージが、一つのいじめの原因といえます。
だから、経験者として述べるなら、いじめを受けて悩んでいる人は、まずいじめの原因が自分に無いのか、きちんと省みるべきだと思います。

ここまでは、よくある「いじめられるお前にも原因があるんじゃねーの?」で済ませる話です。

しかし問題は、そのいじめのターゲットにされた人が、そのターゲットにされた理由を告げられないまま、省みる機会も与えられないまま、またはターゲットにされた理由を改善しているのにもかかわらず、理不尽ないじめを受け続けるということです。もちろん、ターゲットにされた理由は単に空気を読まない行動もあれば、身体障害によるもの、顔や体の問題など、どうやっても改善できない問題を抱えている人もいます。

いじめられる側にいる人にとって、いじめを受けても仕方のない自分自身の原因が50として、その50までのいじめを受けるというのなら因果応報というか、「目には目を」で説明がつきます。
しかし、50に対して100とか、10に対して100など、不均衡ないじめに対して、いじめられた側の人はどう対処すべきなのでしょうか。

これが学校で起きた問題であれば、私は躊躇せずに「不登校」を選ぶべきだと思っています。少なくともこの行為で問題が顕在化します。普通の教師であれば、「何か原因があるはずだ」とわかるはずです。そして、躊躇なく教師に言いつけるべきだと思っています。できることなら弁護士を介入させて、法的な行動をとるべきだと思っています。

これが一般社会で起きた問題であれば、私はやはり躊躇せずに「法的手段」を選ぶべきだと思っています。
法的手段は、警察・弁護士・裁判所などを使うことから、「大げさ過ぎやしないか?」と疑問を持つ人も多いと思います。学校内のような、未熟な人たちが集まる場所でのいざこざなら、最初から警察に頼るのはよくないというローカルルールもありだとは思いますが、一般社会であれば、もう告げ口する相手もいないのですから、当然の行動だと思います。

ちなみに私は19歳の時に、大学のサークルで飲酒を強要され、そのサークルを退会するという手段を取りました。飲酒を強要した側は、「大人としてのたしなみを教えてやった」のかもしれませんが、私の受忍限度を超える強要はたしなみも何も、人間関係を円滑にするしないの問題を通り越しています。そして私は学長宛に手紙を書きました。法学部を有する大学で、20歳未満の学生に飲酒を強要するのはいかがなものかと。私の手紙が契機かどうかはわかりませんが、その後、神奈川大学は本格的に飲酒の「強要」には厳しくなり、学生の飲酒で多数の問題が発生する学園祭を3年間に渡って取りやめることになりました。学園祭の中止は学生にとっては不満だったかもしれませんが、私の行動が契機だとすれば、私の行動によっていくつもの命が救われたはずです。

あと、以前、私のブログで「殺す」と脅迫してきた人は、警察の捜査でドコモの携帯からの発信であることがわかり、IPアドレスから所有者を特定したところ、とある役所の職員でした。もちろん、彼は私を本当に殺す気はなかったと思いますが、私は厳罰を求めました。結局、彼は責任をとって辞職し、逮捕も免れて起訴猶予となりましたが、あれを放置すれば本当に殺人者となっていた可能性もある(大したことない脅迫に驚いて自殺する人がいます)わけですから、結果的に私は彼が人殺しになるのを防いだと自負しております。
なお、被害者がきちんと処罰意識を持って警察に通報(被害届・告訴状の提出)をすれば、仮に微罪だからという理由で今回は捜査がなされなくても、記録は残る訳ですから、同じことを行ったら次は逮捕となるようです。

余談が多くなってしまいましたが、結論です。
「いじめ」は間違いなく、「いじめられる側」に問題があります。この場合の「問題」とは、「原因」と同義です。
しかし、その問題を解決するために、暴力やその他様々な嫌がらせを用いるのは間違いです。もし誰かが不愉快な態度を取ったのであれば、せいぜい口喧嘩で済ませればよいのです。
そしてその「いじめられる側」になってしまった人は、絶対に放置せず、勇気をもって「不登校」を決め、教師への「告げ口」、そして警察への「通報」をしましょう。いじめられっぱなしで放置すると、いじめた側が別のターゲットを見つけてエスカレートするだけではなく、今度はいじめられたあなたの心に「嫌なことがあったら自分より弱い者を見つけていじめればいいのだ」という思いが目覚めてしまうのです。
いじめられたら、いじめた者をきちんと更生させるため、相応の手続を踏む。そのために司法制度や司法機関があるのです。
「いじめられる側の問題」を、より弱い「いじめられる人」に連鎖させないため、きちんと法的手続をとりましょう。

ちなみに私は、こんなことは絶対に無理だと思っています。著者の方、ゴメンナサイ。
   ↓
いじめはなくせる―教室ですべきこと [単行本] / 大西 隆博 (著); アニカ (刊)
posted by まつもとはじめ at 19:36| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | いじめ問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

なぜ学位授与機構の「看護学士」は大学の「看護学部卒」と同じなのか

以下の私の本を読めばひと通り書いてあることなのですが、題名だけを読んで「学位授与機構の学士は大卒じゃない!」と声高に、そして匿名で反論してくる人がいます。
正直なところ、金もかけず、読む手間をかけず、ネット書店の表紙だけを読んで反論されても困りますし、そんな人にタダで教えてあげる義理も無いのですが、そういう情報のタダ取りを要求する人に限って、勝手な思い込みをして「この本は題名からして誤っている」などというので、正直なところ迷惑です。

そこで、この際だからこのブログで「同じである」という理由を述べようと思います。

短大・専門学校卒ナースが簡単に看護大学卒になれる本 改訂3版 ─総予算25万円で看護学士に!大学評価・学位授与機構活用法 [単行本(ソフトカバー)] / 松本 肇 (著); 秋場 研 (監修); エール出版社 (刊)
短大・専門学校卒ナースが簡単に看護大学卒になれる本 改訂3版 ─総予算25万円で看護学士に!大学評価・学位授与機構活用法


まず、基本的な定義から述べたいと思います。
「大卒」というのは何を指すのか。日本では、大学を卒業することを「大卒」と言います。
大学には4年制の他、医療系の学部には6年制のものがあります。つまり、日本において大卒とは、この4年制大学か6年制大学を卒業することが原則です。
そしてこの4年制大学の卒業要件は、4年以上在学して、124単位以上を修得することとなっています。大学や学部によって140単位以上が卒業要件となっているところもありますが、それはあくまでも大学独自の規定であって、大学設置基準では124単位以上となっています。

さて、この「大学」ですが、短大や専門学校を卒業している人は、3年次に編入することができます。最近は3年制の短大・専門学校卒業者を大学の4年次に編入させる大学もありますが、ここでは放送大学を例にとって、「3年次編入」としておきます。

短大はあくまでも「短期の大学」であって「大学」ではありません。そして「専門学校」は専修学校の専門課程のことを指しますが、やはり「大学」ではありません。しかし、大学の3年次に編入できるということは、現実問題としては、短大や専門学校を卒業した者は、「4年制大学の2年次を終え、62単位を修得した者と同じ」ということになります。つまり、短大と専門学校は、大学の1年と2年のカリキュラムとイコールの関係にあるといって構いません。

そして例えば短大や専門学校を卒業した人が放送大学教養学部の全科履修生に3年次編入した場合、あと62単位を修得すれば、合計124単位を修得したことになって、卒業の認定を受けることができ、晴れて学士(教養)の学位記を受領することができます。

つまり、大学の1年と2年を満たした人は、大学で3年と4年のカリキュラムを経れば大卒となれるのです。
ここまでの理解は大丈夫ですよね?>みなさん

短大・専門学校卒ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本 増補改訂3版 ─2週間で書ける学修成果レポート!大学評価・学位授与機構で学士(看護学)をめざす (YELL books) [単行本(ソフトカバー)] / 秋場 研, 松本 肇 (著); ぼうご なつこ (イラスト); エール出版社 (刊)
短大・専門学校卒ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本 増補改訂3版 ─2週間で書ける学修成果レポート!大学評価・学位授与機構で学士(看護学)をめざす


さて、ここで例示するのは、「放送大学の3年次編入」です。

放送大学は入試がありません。編入に関しても同様です。

短大・専門学校卒の人、つまり「大学の1年と2年のカリキュラムを経た人」が、放送大学に編入学した場合、全科履修生の3年次に編入できて、所定のカリキュラムで所定の単位を修得し、それが62単位に達すれば、編入前の単位と合わせて124単位になり、晴れて卒業となります。
一方で、もし同人が、全科履修生ではなく、選科履修生・科目等履修生など、正規の学士課程ではない学生だった場合、62単位を修得しても卒業の認定はなされません。しかし、その後、同人が放送大学の全科履修生に編入学したら、今度は1単位も修得することなく、もう2年間の在学だけで卒業の認定を受けることができます。

つまり、大学卒業というのは、「短大や専門学校を卒業した人が、課程や学生の種別を問わず、62単位を修得した者のこと」とも言える訳です。62単位さえ修得すれば、後追いで全科履修生になればいいってことです。ただ、この「後追いで全科履修生」というのは、学生の努力や学力や偏差値に関わるものではなく、単純に「入学申込み用紙の全科履修生の欄に○を記入して金を払うだけ」の話です。申込み用紙と入学金の有無だけで、大学が「卒業」と認定し、卒業式に呼ばれ、学位記が授与されるのです。
何度も言いますが、選科・科目履修生と全科履修生は、入学金の額の違い、放送大学側の書類の処理の違いだけであって、本人の優秀さや努力とは全く関係がありません。

さて、ここで大学評価・学位授与機構の学位授与事業についての話をします。
大学評価・学位授与機構は、短大や専門学校を卒業した事実を「基礎資格」として取り扱います。この基礎資格には第1区分から第3区分までありますが、2年制の短大・専門学校卒業者なら「第1区分」と称します。
この第1区分の基礎資格を持った人は、既に62単位を修得しているものとみなされます。そして次に大学で62単位を修得することによって、短大や専門学校の62単位と大学の単位を合わせて124単位となります。簡単な足し算です。
大学評価・学位授与機構の学位授与事業は、文学とか社会学とか理学などの専攻分野に分かれていて、例えば看護学に関していうと、このトータル124単位のうち、看護の専門科目は40単位以上、関連科目は4単位以上、この専門科目と関連科目を合わせて62単位以上などといったいろいろややこしい要件をクリアし、かつ学修成果と呼ばれる卒業論文相当のレポートを提出して試験に合格した場合、学士(看護学)が与えられます。

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『新しい学士への途』の看護学のページより


放送大学など、4年制大学の「卒業」の認定と比べると、大学評価・学位授与機構の学位授与事業の学士認定は、その手続において大きく違わないことがわかります。それどころか、放送大学が「短大・専門学校の62単位」+「大学で62単位修得」のプロセスで卒業を認定するのに、大学評価・学位授与機構はそれに加えて「学修成果」と「試験」というハードルが残っているのです。

4年制大学では卒業論文を課さないところも多くなっている現在において、単位の他に学修成果を課すということは、学位授与機構の学士が「大学卒業と同じ」を通り越して、「大学卒業よりも高度だ」ということになります。

さて、学位授与機構の学士について「大学卒業ではない」とか、私の著書について「看護学士は看護大学卒ではない」と言い切っている方にお聞きしたい。

だ・か・ら、何なのでしょうか?

「卒業式」というセレモニーが無いから「大卒ではない」のでしょうか。
それじゃ、東日本大震災の影響で2011年の3月に卒業式を中止した大学の卒業生は大卒ではありませんね。

学位授与機構が「大学」ではなく、「独立行政法人」だから大卒ではないのでしょうか。
それなら国立看護大学校は大学の看護学部相当の教育と学位授与機構の看護学士が取得できるはずですが厚労省の一教育機関でしかないから大卒ではありませんね。

我が国においては、人事院の俸給規定、大学院入学資格、関係法規などで、いわゆる大学卒業と4年制の専門学校(高度専門士)と学位授与機構の学士は全て4年制大学卒業者と同等と定めています。
これを「大学の卒業じゃないから」という、稚拙な理由で「大卒ではない」などと言い続けるというのは、愚かだと思うのです。

最後に、たとえ話をしておきます。
生まれたときに、男性器があるから男性として育てられた子どもが、大きくなって遺伝子検査をしてみたら女性だった場合、いわゆる性転換手術をして戸籍上は女性として生活を送っているというケースがあります。
この人について「性転換をしているから本当は男だ」と言い張る人がいたら、バカだと思いませんか。
柔道のポイント制度に「一本」がありますが、これは「技あり」を2つ取ることでも「合わせ技一本」と呼んで「一本勝ち」と言います。これを「合わせ技一本は本当の一本じゃない」と言い張る人がいたら、バカだと思いませんか。
個々人の能力を見る訳でも無く、ただ「卒業」と「学士」の字面が違うだけで、我が国の法律で正式に認められた学士を「大卒じゃない」と言い切る人がいたら、やっぱりバカだと思いませんか。

そこでまとめです。
大卒だろうと学士だろうと、それはひとりの人間が経験した学修経験です。看護業界において、看護師としての能力について批判するならともかく、その学修経験を、他人のあなたが「大卒じゃない」と述べたところでどうなるのでしょうか。大卒じゃなかったらどうだというのでしょうか。学位授与機構の学士は全く無意味なものなんですか。少なくとも大卒相当の学修経験と卒論相当のレポートがあるのに、本人の努力とは全く関係が無い、大学側・学位授与機構側・文科省側の都合で卒業と認めないんですか。卒業そのものではないけれど、大卒相当であると法律まで作ってあるのに、それをなぜ大卒ではないと無責任に言えるのでしょうか。
私は法学部を卒業した者として、高等教育制度を研究している者として思います。少なくとも我が国の法律で認められた正当な学士を持っている人は全て大卒であり、その学士の専攻分野・区分に相当する学部を卒業した者としてみなして当然です。そうみなせない理由があるというなら、きちんと議論を挑んでいただきたいと思います。ただし、質問したり議論を挑まれる時は、匿名お断りです。最低限、お名前と出自をはっきりさせた上でメールを送ってください。

こちらは私の運営する学位授与機構解説サイトです。
大学評価・学位授与機構解説ページ GAKUI.NET
posted by まつもとはじめ at 01:08| 神奈川 ☔| Comment(7) | TrackBack(0) | 大学評価・学位授与機構 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

いじめ発覚で担任教師の評価を下げるのは間違い

ワタミ会長の渡邉美樹氏が、過激な発言をしています。

「いじめが起きたクラスの担任は事前に芽を摘み取ることができなかったのだから減給すべき」と述べました。
週刊ポストセブンは、インタビュー記事を過激に編集することがあるため、この渡邉氏の言葉を額面通り捉えることができないが、この言葉は重い。
もともと「いじめ」などというものは、発覚しにくいもので、教師が感じ取れるくらいのいじめなどは、逆に言えば軽い。教師にも得手不得手はあり、いじめの発見のうまい教師もいれば、苦手な教師もいる。巧妙ないじめは「いじめられているふりをして相手をいじめる」なんてものもある。
学校裏サイトなどに悪口を書くなど、匿名掲示板に誹謗・中傷を行うなんて陰湿ないじめは、いじめそのものが発覚しても犯人特定が困難だから、いつまで経っても解決ができない。

だいたい公務員の昇進システム自体、個性ある教員を認めにくい(=上の言うことを聞けない人は左遷)上、ミスを認めること自体が悪という社会で、ことなかれ主義が基本です。ミスがあっても隠蔽できる限りは「いじめは確認できなかった」、「いじめと自殺に因果関係は無い」と言い続けなければならない、特別権力関係といってもいいくらいの縦社会だと思うのです。

人は生きて生活している以上、何らかのストレスを感じ、そのストレスを発散するためにいろんな行動を模索します。大人であればカラオケ、スポーツ、飲食、異性との付き合いなど、いろんな発散方法がありますが、子どもはお金がありません。日々の遊びや交遊関係などでストレスを発散することができる子どももいるでしょう。しかし、金も無く、親の無理解、友人もいないなんて子どもは、結局、自分よりも弱い立場の人間を見つけ、発覚しにくい環境の中で暴力を振るったり嫌がらせをしたりして、ストレスを発散するようになります。
大人の社会で起こっていることは、形を変えて子どもの社会にも反映されるのは誰もが知っているところでしょう。

すると、いじめを防ぐための手だては何が必要なのか。
それは渡邉氏も述べている「ディスクロージャー」です。ただし、そのディスクロージャーは、経営内容・経営実体などではなく、いじめの存否の公表です。これは別に外部に公表するってことじゃなくて、少なくとも教室内で、誰がどんな理由で誰をどういじめていて、その行為の何が問題で、それは今後どうすべきなのか。この行為に対して、教師がどう対応するのかを教室内で共有すべきことだと思うのです。

この本は、まさに教師にいじめを把握させて、子どもを守るために作られた傑作だと思っています。
   ↓
いじめ撃退マニュアル―だれも書かなかった「学校交渉法」 [単行本] / 小寺 やす子 (著); 野口 よしみ (イラスト); 情報センター出版局 (刊)

いじめが起こったら教師に罰を与えるなんていうのは、愚の骨頂だと思います。
「いじめを放置した」、「発覚・情報共有を遅らせた」という教師こそ問題なのですから、いじめの芽を摘み取れなかったら罰を受ける制度など、隠蔽が横行するだけのような気がします。

ワタミ会長 いじめ発覚なら担任教師の給料下げるべきと提案
 大津いじめ自殺事件で見えた教育システムの荒廃は、学校だけでなく、この国全体を蝕むものだ。今こそ硬直化した戦後60年の教育システムを変えなくてはならない、と指摘するのは神奈川県の教育委員を9年務め、郁文館夢学園の理事長でもあるワタミ会長の渡邉美樹氏である。
 * * *
 この問題を解決するには、教師には成果主義、学校には競争原理を持ち込むしかない。
 極端に言えば、例えばいじめが起きたクラスの担任教師は給与を下げる。いじめにいたるまでには芽の段階があるのだから、事前に芽を摘み取っておくべきで、それができなかったのは教師の能力が足りなかったか、やる気が足りなかったかだ。
 だから教師の評価をきっちり行なう。私が理事長を務める郁文館夢学園では教師の「360度評価」というものを実践している。生徒や親からの詳細なアンケートの結果、さらには校務分掌・教科・学年毎に上司、部下からの申告という具合に、総合的に評価する。評価がよければ、当然給与は増える。
 子供に教師を評価させるというと、「教師が子供に迎合するようになる」と必ず言われるが、そんなことはない。
 郁文館中学・高校では校長、教頭が毎日、教室を巡回して教師の授業をチェックするが、教師の上司である彼らの評価は、生徒たちのアンケート結果とほぼ一致する。子供は意外とよく見ているものなのだ。
 教師を評価し、給与に反映させるなら、相応のトレーニングが必要だ。
 今の仕組みでは大学を出たばかりの22歳の若者がいきなり「先生」と呼ばれる立場になり、教室の中では“王様”として振る舞うことができる。批判する人がいないから、成長しなくなる。それを改善するには、インターン期間を設けたり、研修を行なったりすることで、教師としての資質を見極めながら、同時にスキルアップもできる仕組みが必要だ。
 学校も同じである。教育方針、私立であれば経営実態のディスクロージャー(公表)を進め、公立と私立の間で自由競争を起こすためのバウチャー制度を導入するなどし、生徒や親が学校を本当に自由に選べるようになれば、良い学校は生徒が集まり、そうでないところは淘汰される。それが学校に対する評価である。
 なぜ学校を競わせたほうがいいかというと、裏には親の愛があるからだ。親は本当に子供のためを思うなら、「この子の能力を引き出してくれる学校はどこか」を考え、必死で探すはずだ。特に中学校を選ぶのは親なので、学校は親に選ばれるように競えばいい。
 親が良い学校かどうかを判断するために、学校は教師の評価を公表する。もちろん親の側にも偏差値重視の価値観を正してもらう必要はあるが、親も子供が本当にかわいいなら、優しくてゆるいだけの学校より、厳しく育ててくれる学校に入れるはずだ。
※SAPIO2012年8月22・29日号
posted by まつもとはじめ at 23:23| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「頭の良い人」の定義

よく、学業成績の上位の人のことを「頭が良い」という表現をします。

ちょっと考えていただければわかると思いますが、「学校における成績が良いことと」と「頭が良い」ということは、それなりに相関するケースはあっても、現実には違うというケースはたくさんあります。

いちおう、文筆業の世界にいる者として言うならば、中学・高校の国語の成績と、プロの作家やライターとしてやっていける人との相関関係はあまりありません。国語が常にトップクラスで、国語だけなら大学入試で満点を取れるくらいの能力を持っていたとしても、それが「精力的に情報を集めて独創的な感覚でものを書く能力」を担保するものとは思えません。むしろ、文章力はそこそこで、多少は人真似でもいいから、自分の興味を持った分野に精力的に取材していくくらいの人がプロとして役に立つと思っています。

私は仕事がら、いろんな職業の、いろんな立場の人とお会いすることがありますが、その業界で、第一線で活躍している人とお話しをすると、何というかオーラのようなものを感じ、「ああ、この人を超えることは絶対に無理だな」という印象を持つ人と、「え?この人がそんなすごい人なの?大したことなさそう」と感ずる人がいます。
この「すごい人オーラ」は、学歴や資格といった、評価のしやすいバロメーターではありません。中卒であろうと、高卒であろうと、すごい人のオーラはじんじん感ずるし、逆にすごい学歴を持っているはずの人でも、意外に大したことないんじゃないかという印象を受けたことがあります。

よく言われることではありますが、中等教育までの「頭の良い人」とは、模範解答のある設問に対し、その模範解答を短時間で引き出してこられる人のことを言います。つまり、「記憶力の優れた人」イコール「頭の良い人」です。
しかし、高等教育以降は、模範解答のある設問なんてある方が珍しいくらいだと思います。

例えば、「誰が日本の総理大臣になれば良いですか?」という設問に、模範解答なんてありませんよね。同様に「安全に原子力発電を運用する方法を説明しなさい」とか、「面白い映画とはどんな映画か、説明せよ」など、難しいものが多いはずです。

こうした困難な判断を「学業成績の良い人が適切に判断できる」とすること自体がかなり無茶なのに、我が国の官僚制度ではその学業成績の良い人が国家公務員試験に合格して国を動かしていくという不思議な状況にあります。
また、その国家公務員の中でも、偏差値の高い大学(東大・京大など)の出身者が尊ばれる傾向があって、独創的な判断よりも、無難な判断をできる人が昇進しやすいとされています。

しかし、民間企業では学歴はさほど重要ではなく、むしろ研ぎ澄まされた感覚で商品を開発できる人、少し強引でも有利な契約をとってこられる人、法律や機制の間をぬって面白いことをしてしまう人の方が尊ばれます。

そんな理由から、私はそもそも「学歴」というものを信用していません。信用していないからこそ、学歴が無いから悩んでいるという人には著書で「実はその学歴をいかに楽をして取得すべきものなのか」を説明しているし、「こんなくだらないことで悩むくらいなら、学位でも学歴でも取得してしまえば解決する」と「我々が思っているほど高学歴の人は優秀じゃない」ことも述べています。

東大でも早稲田でも慶應でも、一流とされる大学は、「卒業生(この場合は中退も含む)に優秀な人がいた」だけであって、現に学生をしている人、卒業生が優秀である証左にはなりません。ならない以上、学歴を信仰するような考え方は過ちだということになります。

このあたりの私の意見に少しも同意できない人は、きっと記憶力万能主義とでもいうのでしょうか。学歴というものを信奉し過ぎて、人物評価を見誤ってしまうのではないかと思います。
posted by まつもとはじめ at 02:02| 神奈川 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 高等教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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