2013年10月14日

いじめ対策はただひとつ

「いじめ」をめぐる問題について、いろんな対策を講じられるものの、「いじめ」という現象を根本から無くす方法なんてありません。

クラスの中で、いじめのターゲットになるのは、体も弱く、学力も低く、もちろんケンカなんてできない人と、だいたい相場が決まっていて、一方、いじめをしてしまう立場の人というのは、いじめをしても反撃してこないであろうそのターゲットを見つけ出し、理不尽な行動を行います。

「理不尽な行動」というのは、暴力行為、暴言、無視、いたずらなど、嫌がらせ手法としては多岐にわたります。

同級生が同級生に行うもの、部活などの後輩に行うもの、教師が生徒に行うものなど、いろんなバリエーションはあるものの、発生パターンとしてはすごくシンプルで、それはこの一文で表現できます。

「絶対的な力関係にあって、反撃・反論・他の機関に判断を委ねられない状態」

学校内であれば「告げ口するとよりいっそういじめられる」。
職場であれば「クビや左遷の対象となる」。
家庭内暴力であれば「離婚されて経済的基盤を失う」。

また、面識のない相手でも、ただ「あいつがむかつく」というだけで、ネット掲示板に悪口を書くとか、家の玄関に汚物を置いていくなんて嫌がらせがありますが、これも同様で、「絶対的な力関係にあって、反撃・反論・他の機関に判断を委ねられない状態」だからこそ、そういう卑怯なことができるのです。

さて、この問題。「いじめ」というと、学校内の違法行為・反道徳的行為と思われがちですが、もう少し広げて、「嫌がらせ」として捉える必要があると思います。

「いじめ」などの「嫌がらせ」行為が発覚した組織(学校や職場)では、必ずこういう会見を行います。

「今後、同様の問題が起こらないよう、しっかりと指導していく所存である」

きちんと非を認めて、組織運営をきちんとやっていく立場としての謝罪会見としては合格点ですが、じゃあ、具体的にどういう対策を取るのかについて、きちんと説明する人はいません。
せいぜい、学校なら教師に対して「いじめの起きない学級運営をせよ」、会社なら「セクハラ・パワハラが起きないように人事管理をしっかりせよ」と命ずるだけ。具体的な方策などはありません。だから、現場としては、「次からは内部告発とかされないようにしよう」、「自殺しそうになるやつがいたら退学・退職させてしまおう」…などと、事なかれ主義が横行します。
現実問題として、いじめや嫌がらせというものは、「みんながマニュアル通りにやっていれば絶対に起きない事象」ではありません。誰もがマニュアル通りにやっているつもりでも、手抜きをする方法を思いついたり、見つからないようにすればいいんだという雰囲気は必ず生まれ、多かれ少なかれ、全ての組織にそのような事象は起こります。
だから、「しっかりと指導する」なんていう、アホな文言で記者会見に応ずる管理職がいたら、「次からは見つからない方法を考えます」と言っているようなものなので、そのような会見を行おうとする人たちは気をつけた方がいいかもしれませんね。

事なかれ主義ではなく、本質的にいじめ問題を解決させようとしたら、どういう方策があるのか。
実は学校でも職場でも、一版社会でも、効果的ないじめ対策はただ一つしかありません。
それは、「問題を顕在化させること」なのです。

いじめが起こったとするならば、内々で処理するとかではなく、しっかりと手順に沿って、「誰と誰が当事者で、具体的にどのような嫌がらせ行為があって、なぜそのような行為が行われたのか」をきちんと聞き取り調査をして、一定期間(3年間とか)、その情報を保持すべきなのです。
それは一版社会でも同じですよね。会社内で上司がセクハラ・パワハラしたとするなら、会社の責任者や関係部署がきちんと調査して記録を保持しておくべきなのです。その聞き取り調査そのものが予防措置になるし、次に同様の問題が生じないための方策にもつながります。

以前、私はある学校経営者から、大手ネット掲示板に生徒や教職員の名誉毀損情報を書かれて困っている旨の相談を受けたことがあります。私はそういう輩(書き込みを行う人)は、自分の名前が明らかになるまで、絶対に書き込みをやめないから、少々の予算を組んで、警察や裁判所を使ってでも戦うべきだと進言し、現実にその人物の名前が判明したのでした。
不思議なことに、このノウハウを持っている弁護士は多くありません。私の修士論文はまさにその電磁的記憶媒体の民事訴訟法的な証拠価値でしたので、その学校の弁護士から依頼されて、私が関係書類を作成するという、変な話になったのでした。
そしてやはりこの学校についての書き込みは止まり、書き込んでいた人物も判明したので、間もなく刑事事件に発展する見込みとなっています。

以上のことから、学校関係者に会社関係者など、いじめをめぐる問題を抱えているみなさんに、教育ジャーナリストとして申し上げておきます。

「今後、同様の問題が起こらないよう、しっかりと指導していく所存である」

……と、本気で思っているのであれば、今後は「問題が起こらないよう」にするとともに、「問題が起こったときにはこう動く」という手続きや手順を考え、問題(いじめや嫌がらせ行為)が顕在化するように規則を作っていくべきだと思うのです。これらは企業のコンプライアンス条項を策定する専門家などに頼むというのが一般的です。
必要であれば、私がノウハウを伝授した法律家も紹介しますし、問題を解決に導くための規則策定なども手伝います。

「ハインリッヒの法則」というものがあります。
これは労働災害における経験則で、一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在すると呼ばれています。
ハインリッヒの法則-ウィキペディア

もしみなさんのいる教育現場で、5件・10件のいじめ事件が発生しているとしたら、次に発生するのは「自殺」かもしれません。それが職場で5件・10件のセクハラ・パワハラ事件が報告されているとしたら、次には労働基準監督署が大騒ぎして立ち入り調査するかもしれません。

「教育現場はあくまでも教育現場であるべきで、職場はあくまで職場でなければなりません。人が死ぬほど悩みを抱えなければならない場所ではありません」と、私はみなさんに訴えていきたいと思います。
posted by まつもとはじめ at 01:51| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いじめ問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月09日

「通信制は入試が無いから程度が低い」という指摘は正しいのか

通信制大学を選択すること、入学すること、卒業することについて、「そんな学歴は無意味だ」と言い放つ人がいます。
もしそんなことを平気で言う人がいたら、その人にこう言ってあげてください。

「オマエはバカか?」

あ、失礼しました。いきなりバカと言ってしまうと、その人の尊厳を傷つけてしまうことになるので、こう言いなおしてください。

「実情も知らずに学歴の価値を軽々しく決めないでください」

通信制大学は、いろいろな特徴を持つところがたくさんあって、一口にああだこうだと述べることはできませんが、通学課程の大学と比較・検討すると、大まかにこんな特徴があります。

1.入学するための選抜はほとんど行われず、学力試験は課さない
2.在学中、基本的に登校する必要がないので、教員の指導を直接受ける機会が乏しい


通信制といえども、いろんな学部・学科があるので、全てがこうだとは言えませんが、大半はこのように差異を明確にさせることができると思います。

したがって、通信制大学には入試が無いから、大学のレベルを偏差値で測ることはできません。偏差値を測れないということは、この学校に通う人は、頭の程度が低いということになります。
また、ふだんから大学に通う必要が無く、授業を受ける機会も少ないのだから、日々の勉強量が少ないというとこになります。
入試を受けず、教育も受ける機会が少ないのだから、卒業できたとしても無価値だという評価や判断は、それなりに合理的にとらえることもできるので、なるほど納得できます。
しかし、私自身、通信制の大学を卒業した経験を踏まえてみると、そうでもないような気がします。
通信制って、本当に無意味な学歴なんでしょうかね。


それでは「通信制は無意味だ」と言い張る皆さんに質問します。

例えば「偏差値60」といわれている大学には、本当に偏差値60の学生がいるのでしょうか。
そもそも、偏差値60という数値は、いったい何を担保するのでしょうか。

ものすごく簡略化して、分かりやすい例で考えてみます。
みなさんご存じの「早稲田大学」が偏差値60だとします。学部・学科による違いや誤差は全く無いものとして、とにかく早稲田大学は入試問題を解いて、偏差値60以上になる点数を取った人でないと合格しないと仮定します。

すると、早稲田大学の一般入試をくぐり抜けてきた人は、入学試験の段階で、全員が偏差値60をクリアするべく、高得点を記録してきたということになります。入学後、その学生が怠惰な生活をしていたとしても、入学当時に一定レベルの偏差値をクリアできたのだから、「やればできる子」、「一瞬だけでも日本全国の人たちが参加する受験生社会で上位になれた子」という経験則が成り立ちます。

つまり、この経験則は、「早稲田大学一般入試合格」という資格・ライセンスともいえます。
英検1級ホルダーであれば、「少なくとも合格時にはものすごい英語力があった」、「ネイティブ並みに英会話ができる」という経験則が成り立つように、早稲田大学合格とは、合格時の学力を担保することになります。
「ある時期、一定の試験で一定の点数を取れた」というものと仮定すると、同様のものに、運転免許、司法試験、医師国家試験などがあります。
だから、経験則としては、運転免許を持っている人は、ペーパードライバーの期間が長かったとしても、思い出せば運転できるぞと思われる訳です。確かに単なる素人とは違います。

さて、その早稲田大学の入試が、出題範囲が定められ、レベルが一定で、かつ一定の点数以上を得点した人だけが合格するとしたら、その合格歴というものについては価値があります。
そう、「一流大学合格歴」というのは、この要件をクリアした者に与えられる学力を量るライセンスなのです。

しかし、今どき、一般入試だけ選抜を行う大学は珍しいですよね。

例えば、附属高校からの入学、指定高校からの推薦、一般推薦、AO入試、社会人推薦、帰国子女向けの入試等々、偏差値では判断しにくい、実に多様な入試方法が行われています。

早稲田大学では、入学者を調べてみると、一般入試とそれ以外の入試で入学してきた人たちが、概ね4:6になるそうです。つまり、早稲田大学の学生が100人いたら、60人が一般入試を受けていないということです。

早稲田大学は、あの難しい一般入試を通ったからこそ価値があるはずなのに、実は6割の学生がそうではなかったのです。
これがランクの低いとされる私立大学だともっと顕著です。2:8という大学も多いはずです。

そして、一般入試を経てきた人と、それ以外の人を比較すると、学力に明らかな差が出てきます。就職活動の際、企業もその実情をわかっているため、かつては大学名だけで学力を推定して採用していた企業が、学力試験を課すようになったとも聞きます。

つまり、「有名大学に入学・卒業した」という経歴は、確かにその人の優秀さを量る材料にはなるのだけれど、一言でいうなら、「アテにしちゃダメ」なのです。

「早稲田の附属高校を出たのなら、高校入試の時にがんばったのだから優秀なはず」

こう言いたい人もいると思います。
確かに、高校入試で他人より秀でた成績を残したから、早稲田高校に入れたのは事実でしょう。だけどそれはあくまで高校入試の問題であって、大学入試できちんと戦える実力があるなら、早稲田の附属高校に入る必要はありません。それどころか、「附属校出身であれば、大学入試では一般入試よりも楽に入れる」と思うから附属高校に入りたがるわけです。
これと同じ現象は、多くの大学で起こっています。
私が在籍した立正大学でも神奈川大学でも、附属高校から入学した人は、明らかに学力不足と感じました。法政や慶應の附属高校から大学へ進学した友人たちも、「一般入試組との差は歴然としていた」と述べていました。
早稲田大学への推薦入学が確定していたはずの高校生が書類上のミスで無効となってしまい、改めて一般入試を受けても歯が立たなかったというエピソードも聞いたことがあります。

つまり、同じ大学の看板を背負っていたとしても、担保される学力はまちまちで、入試の方法によって個人差が激しいのです。

この記事の、これまでの話を聞いても、それでも有名大学に入学した個人を指して、偏差値が高いと評価すべきなのでしょうか。

「いやいや、有名大学は教授が素晴らしいのだ」

え?本当ですか?
私がかつて在籍していた立正大学文学部二部地理学科には、早稲田大学の教授が非常勤で来ていましたよ。
すると、立正大学文学部二部は、早稲田と同じレベルと評価していいのでしょうか。
私の知り合いで、神奈川大学教授から明治大学教授になった人がいましたけど、つまり明治大学は神奈川大学と同じレベルってことですかね?

ここまで読んだ方であれば、私の「一般入試」と「それ以外の入試」の学力差についての私の疑問を、大筋で理解してくださったと思います。

すると、入試を経ずに、学びたいと思って通信制の課程に入学した人の学力は、いったいどういう評価を受けるべきでしょうか。

一般入試を経ていないという点では、通信制の入学者は、通学課程の推薦入試と同等といえます。
だけど、推薦入試の資格を得るためには、高校にまじめに通って、それなりの成績を残さなきゃいけない訳だから、ほぼ無試験の通信制への入学者と比較すると、学力の差は歴然としているともいえます。

こうして話してみると、学力というものについて、有名大学の看板を背負うことと、実際の学力の差異が、だんだんわからないものになってきますよね。

ここで、「そもそも」の話をしてみます。

そもそも、大学に入学するために「入試」というものが存在する理由は何なのでしょうか。

それはズバリ、「大学の授業を理解するための基礎学力があるか否かを量るため」です。

英文学科に入学したのに、中1レベルの英語力が無かったら授業が進みません。
法学部に入学したのに、中学で教わるはずの三権分立とか日本国憲法とかを知らなかったらそこから教え直さなきゃいけません。
高度な微分積分を学ばせるのに、四則計算(加減乗除)もできない人を入学させたら、教育現場は疲弊します。
薬学部なら化学式の基本的な理解、物理学科ならニュートン力学……etc。

つまり、「いくらなんでも、うちの学部に入るのなら、これを知らなきゃダメ」という知識の有無を問うのが入試なのです。
だから、一般入試で知識量を問うのも理解できるし、推薦入試で学問に対するマジメさを面接で確認するというのもわかります。AO入試なら思考の柔軟さを見て、知識不足を拡充できるか否かを判断するのです。
でも、最近はその基礎学力すら怪しい学生が入学してきているなんて話もありますよね。

それでは、通信制大学のように、いわゆる学力選抜による入試を必要としない学生は、どう評価すべきなのでしょうか。

「1単位でも修得した時点で入試に合格した者と同じととらえるべき」

これは、例えば「慶應大学経済学部の通信課程で1単位取った人が、慶応大学経済学部の通学課程と同じだから偉いので讃えよ」という意味ではありません。
そもそも大学に合格しただけ、入学しただけの人について、偉いとか頭イイとかの評価をすべきではないのです。慶應の通学課程に合格した人も、通信課程に合格した人も、大学から「学ぶための基礎学力はある」と評価されただけに過ぎないという意味です。
だから、入試に合格しただけではなく、やはりその大学の授業を受けて、単位を修得してこそ、その大学に在学したこと、その大学へ行けるだけの頭脳を持っていたことを証明できるのだと思います。
そして、通信制について言うならば、入学したばかりの0単位の人が、最初の1単位を修得するということが、実はものすごく大変なのです。だって、入試を受けずに入学したのはいいけれど、ほぼ独学で大学の学習についていかなければならないのです。0単位の状態から1単位修得済にするというのは、100単位を120単位にするより、遥かに難しいのです。
だから、その最初の1単位を修得した時点で、「その大学で学ぶための基礎学力はあった」と評価されるべきだと思います。

さて、同じ大学を卒業しても、人のために頑張っている人もいれば、自分の利益のために他人を蹴落とす人もいます。大学に行けなくても、または大学を中退しても人のためになる人はいます。大学を卒業しても、犯罪か犯罪ギリギリのことに手を染めて、何の痛みも感じない人もいます。
本当の評価って、偏差値がものすごく高いかどうかってことじゃなくて、「どれだけ社会のためになったか」ですよね。もちろん、「善行」そのものが良いのか悪いのかは歴史が判断することでもあるのですが、少なくとも「偏差値の高い人殺し」とか「東大出身の性犯罪者」なんて人は、いくら頭が良くても評価しちゃダメな訳です。
こうして理屈を積み重ねて考えていくと、私は何が偉くて何が低いのかについて、「学歴」とか「偏差値」、「通学」か「通信」かなど、実にくだらない物差しで量ることが、いかに愚かなことかと思い知らされるのです。
そもそも、大学に入るときの偏差値や入試の有無だけで人の価値を決めようとするって、こんなあまりにも程度が低いのので、私は個人的に付き合いたくありません。
しかしながら、大手予備校が毎年偏差値をはじき出し、大学のランキングなどを作っているうちは、この全く無意味な尺度にしばられて一喜一憂する人たちが絶えないので、改めて申し上げます。

「入試を必要としない大学教育を蔑むような人はバカ」
「実情も知らないで学歴の価値を軽々しく決めるような人は愚か」


大学は、最先端とされる教養を学び、それを社会に役立てるために存在します。
そして、その社会に役立てることができる人を養成するために大学教員が存在します。
よって、学歴によるカースト制度を作るために国が税金を投入しているのではありません。

もし一流とされる大学を出て、私が述べるこの理屈がわからない人は、その一流大学はとんだ看板倒れ大学であると断言できます。このような社会の要請を無視して、ただ試験で点数が取れるだけの人を優秀な学生として、平気で卒業させてしまうのです。
私は一流とされる大学を出て、または貴重な国費を投じて養成された人物が、偏差値やランキングにこだわっているとすれば、そしてその稚拙な意識が大学経営に影響を与えているとすれば、その大学こそ、名実ともに「バカ田大学」であるといえるのだと思います。

この記事を読んで不愉快になった方には、心から謝罪しておきます。
不愉快になったということは、私の言う通り、バカ田大学出身の方だと思いますので、心より哀悼の意を表したいと思います。
posted by まつもとはじめ at 00:51| 神奈川 ☁| Comment(12) | TrackBack(0) | 高等教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月22日

通信制大学は高校卒業後すぐに進学するに値する大学なのか

先日、こんな質問を受けました。

「もし私に高校生くらいの子どもがいたとして、もしその子が『大学へ進学したい』と言った場合、高校卒業後の大学進学先に、選択肢として放送大学はアリなのか。」

質問者は放送大学の学生だったので、彼は放送大学を指したのですが、この記事ではもう少し一般化して「通信制大学」としておきます。

質問の意図は私が通信制大学への入学を促すような本をいくつか出していることから、「通信制大学が高校卒業後に行く高等教育機関としてオススメの大学なのかどうか」、「身近な人にまでお勧めできるのかどうか」ということだと思います。

いちおう、私の正式回答はこれです。

高校卒業後の進学先として、アリかナシかを聞かれれば、アリです。

ただ、進学する本人が望む、未来の自分になるために、最も適した教育機関を選ぶべきだから、通信制大学が適当ならアリで、通信制大学が適当でないならナシということになります。

だから、もし私が高校生から進路相談を持ちかけられたとすればこんな感じになります。

大学院へ進学するつもりの人
「法科大学院へ行きたい」という目標があって、大学院の受験資格が欲しいと思い、とりあえず大卒がほしいというなら、学費や拘束時間・単位の取りやすさを考えれば、通信制大学が最短・最適だと思います。
一方で、一からしっかり法律学を学んだ上で法科大学院へ行きたいというのであれば、通学課程の法学部がある大学を選び、講義やゼミなどで鍛えられる環境を選ぶべきです。

医者になるなら医学部へ行け
「医者になりたい」という目標があるなら、医学部のある大学を選ばなきゃいけないので、通信制大学は最初から選択肢から外れますよね。
まぁ、私立の医学部で、2年次編入を受け入れているところは、学士入学に限る場合が多いので、初年度の学費を減らすためと割り切るのなら、時間と手間はかかるけど、通信制大学を卒業しておくのは学費の節約には使えますね。

就職したいなら最初の選択肢に大学を選ぶな
「まぁまぁ、そこそこの就職がしたい」という目標があるなら、私はまず2年制の専門学校へ行って卒業して就職すべきだと思っています。就職してから、通信制大学の3年次編入をすれば、働きながら大卒になることもできます。


こう考えてみると、「通信制大学は人に勧めることのできる大学か」という問いは、実はナンセンスなんですよね。
「国産の軽自動車は外車やスポーツカーの好きな人に勧められる車か」くらいの愚問です。

だって、スポーツカーが好きな人にはスポーツカーを買わせるべきだし、外車が好きな人は外車を買えばいい。ローコストで運送業を始めたい人には国産の軽トラック・軽自動車を買えばいいのであって、必要だと思うものに金をかけ、そうでないものには金をかけなければいいだけの話です。

つまり、通信制大学は、通信制大学が適していると思われる人に勧める。
そうでない人には勧めない。それだけなのです。
posted by まつもとはじめ at 01:26| 神奈川 | Comment(3) | TrackBack(0) | 高等教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月18日

大阪産業大学やらせ入試事件



この事件について、私に意見を求めるテレビ局があったので、簡単に私の意見を書いておきます。

まず、この事件について、私は報道ベースでしか情報を持ち合わせておりません。実際に取材した訳ではなく、あくまでも報道されたことが真実であるという前提でお話しします。
よって、前提となる事実が異なっていた場合は、私の意見も変容していきますので、ご理解ください。


私学助成金は大学の総予算の半分を助成する
大学は、「私学助成金」と呼ばれる、国からの助成金で、その予算の半額までを助成されることになっています。つまり、年間の総予算が30億円の大学なら、その半分の15億円が助成されます。
残りの15億円は、言うまでもなく、入学金や授業料収入、受験料収入、学校施設の使用貸借収入(資格試験会場とか)で賄われています。
これは逆にとらえると、年間15億円の収入があるのなら、同額の15億円を国が給付するというものです。
すると、大学は学生を増やし、学費を値上げするなどして、年間20億円の収入を上げることができるなら、同額の20億円が給付されるのですから、経営陣側からすれば、営業努力をすればするほど、税金が投入されるのですから、必死に学生を集めようとします。
しかし、これも度を過ぎると、血税の無駄遣いになるし、狭いキャンパスに大量の学生が押し込まれると学習環境が悪化するので、文科省は当該大学のキャンパスの広さや施設の充実度を総合的に判断して「定員」を設定します。

定員は学生募集の目安であって、上限ではない
大学の、いわゆる募集要項には、定員が書かれていることが多くあります。
例えば、「法学部は500人」、「文学部は400人」という感じです。

私立大学の場合、現実にはその定員を超える合格者を出しています。
特に中堅以下の私立大学では顕著です。例えば500人定員の学部で、1000人という合格者を出すこともありました。合格者全員が入学したら、いきなり2倍なのですから、本来はありえない話なのですが、中堅以下の私立大学では、どうしても入学辞退者の割合が多くなってしまいます。
東京六大学に入る私立A大学と、神奈川県の私立K大学。偏差知的にはほぼ同じでも、どちらでも通える環境であるなら、やはり東京六大学に入っている方を選びたくなるものです。入れる大学は1校だけなのに、本命の大学と滑り止めの大学を併願するのはごく当たり前の行動です。
すると、一般に偏差値が低ければ低いほどその大学は滑り止めに受験される大学になってしまうのですから、合格者の半分くらいが辞退するなんて大学は悲惨です。
そんな事情をふまえてか、文科省は「定員」に対し、一定の割合まで定員超過を認めるとしています。問題となった大阪産業大学の平成21年度の定員は、1.37倍だったそうです。この基準を超えて入学させた場合は、私学助成金を「減額する」とか「給付しない」などのペナルティが科せられます。

すると、大学側は、年々によって増減の激しい併願一般入試は少数精鋭の別枠にして、指定校推薦、一般推薦、附属高校からの内部進学、AO入試など、ありとあらゆる手段を用いて、前年の秋くらいまでに一定の入学者を確保します。
問題となった大阪産業大学の問題の平成21年度入試では、経営学部の定員は465人で、補助金受給には入学者数を637人以下に抑える必要がありましたが、平成20年12月までに、推薦入試などで600人近くの入学が決定していました。その一方で、一般入試の募集定員は78人としていたため、入学者総数が637人を上回る見通しとなっていたとのことです。
募集定員を78人とした場合、入学試験で一定以下の点数を取らない限り、得点上位者から順に78人を合格させるのが普通です。
推薦などで600人が合格し、一般入試できっちり78人を合格させたら計678人。637人以下に抑えるためには、自主的な入学辞退者が40人くらいいなきゃいけない。しかし、推薦入学の合格者が辞退するケースは少ないし、一般入試の合格者78人中40人が辞退することを期待するのはかなりリスキーです。

やらせ入試は「詐欺」ともいえる
こう考えると「附属高校の優秀な高校生たちに受験させ、一般入試78人の合格者のうち30人を占めさせる」というのは、大学の入試偏差値も上がるし、なるほど合理的です。ただしそれはバレなければの話であります。
これは合格者が78人あると思った受験生を冒涜することになるし、受験料を払って受験した学生たちについては、合格要件を満たしても合格できない賭けに参加させられたのですから、詐欺的といっても良いと思います。もちろん、その受験料収入と同額の助成金が国から支払われるのですから、いずれにしても問題ですね。

大阪産業大学経営学部の経営手腕はある意味すごい
学生を確保して経営を安定化させるために推薦入試を充実させたこと。
それにより、私学助成金を減額される限界の入学定員を超えそうになるくらい学生を集めることができたこと。
バレたとしても、組織的な不正行為とされないよう、様々な工夫がなされていること。(おそらく高校には「偏差値を上げるため」と説明し、教授会などからの批判を受けないように秘密裏に行動したであろうことは想像できます)
ただ残念なのは、ここまで巧妙に仕組むスキルがあるのなら、やはり推薦入試で事前に合格者数を厳選しておくべきだったことだと思います。
かつて定員オーバーしてしまった立命館大学がこのような反省を行っていることからも、今後の適正な入試がなされるよう、心からお祈り申し上げます。
特別転籍に関するお詫びとご報告(立命館大学)


大産大で「やらせ受験」 補助金受給目的、付属高生徒に依頼か 産経ニュース2013.3.17 19:29
 大阪産業大学(大阪府大東市)が平成21年度の入試をめぐり、付属高校(大阪市城東区)に対して成績上位の同校生徒に経営学部を受験させるよう依頼し、生徒に受験1回あたり5千円の謝礼を渡していた疑いがあることが17日、大阪府などへの取材で分かった。

 内部告発をもとに発覚。国からの補助金がカットされる定員超過を避けるため、入学意思のない生徒で合格枠を埋める狙いがあったとされ、報告を受けた府や文部科学省が調査に乗り出したほか、大産大も第三者調査委員会を設置する。

 国の「私立大学等経常費補助金」に関し、当時は入学者数が定員の1・37倍以上になった学部には支給しない規定があった。

 告発によると、大産大経営学部の21年度の定員は465人で、補助金受給には入学者数を637人以下に抑える必要があったが、20年12月までに、推薦入試などで600人近くの入学が決定。一般入試の募集定員は78人としており、入学者総数が637人を上回る見通しとなっていた。

 このため、大学側は当時の付属高教頭に対し、入学意思がなく成績優秀な生徒に経営学部を受験させるよう依頼。元教頭の指示を受けた担任教諭2人が3年生9人に受験を依頼し、一般入試を日程別に延べ数十回受験。合格した生徒に1回あたり5千円が渡された。

 依頼を受けた合格者で実際に入学した生徒はなく、大学側は入学者数を意図的に抑制して基準を満たした結果、21年度の補助金約10億円を受け取ったという。

 大産大の幹部は「関係者に事情を聴き、事実確認を進めたい」としている。
posted by まつもとはじめ at 23:42| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 高等教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

謹賀新年

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posted by まつもとはじめ at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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