2013年10月14日

いじめ対策はただひとつ

「いじめ」をめぐる問題について、いろんな対策を講じられるものの、「いじめ」という現象を根本から無くす方法なんてありません。

クラスの中で、いじめのターゲットになるのは、体も弱く、学力も低く、もちろんケンカなんてできない人と、だいたい相場が決まっていて、一方、いじめをしてしまう立場の人というのは、いじめをしても反撃してこないであろうそのターゲットを見つけ出し、理不尽な行動を行います。

「理不尽な行動」というのは、暴力行為、暴言、無視、いたずらなど、嫌がらせ手法としては多岐にわたります。

同級生が同級生に行うもの、部活などの後輩に行うもの、教師が生徒に行うものなど、いろんなバリエーションはあるものの、発生パターンとしてはすごくシンプルで、それはこの一文で表現できます。

「絶対的な力関係にあって、反撃・反論・他の機関に判断を委ねられない状態」

学校内であれば「告げ口するとよりいっそういじめられる」。
職場であれば「クビや左遷の対象となる」。
家庭内暴力であれば「離婚されて経済的基盤を失う」。

また、面識のない相手でも、ただ「あいつがむかつく」というだけで、ネット掲示板に悪口を書くとか、家の玄関に汚物を置いていくなんて嫌がらせがありますが、これも同様で、「絶対的な力関係にあって、反撃・反論・他の機関に判断を委ねられない状態」だからこそ、そういう卑怯なことができるのです。

さて、この問題。「いじめ」というと、学校内の違法行為・反道徳的行為と思われがちですが、もう少し広げて、「嫌がらせ」として捉える必要があると思います。

「いじめ」などの「嫌がらせ」行為が発覚した組織(学校や職場)では、必ずこういう会見を行います。

「今後、同様の問題が起こらないよう、しっかりと指導していく所存である」

きちんと非を認めて、組織運営をきちんとやっていく立場としての謝罪会見としては合格点ですが、じゃあ、具体的にどういう対策を取るのかについて、きちんと説明する人はいません。
せいぜい、学校なら教師に対して「いじめの起きない学級運営をせよ」、会社なら「セクハラ・パワハラが起きないように人事管理をしっかりせよ」と命ずるだけ。具体的な方策などはありません。だから、現場としては、「次からは内部告発とかされないようにしよう」、「自殺しそうになるやつがいたら退学・退職させてしまおう」…などと、事なかれ主義が横行します。
現実問題として、いじめや嫌がらせというものは、「みんながマニュアル通りにやっていれば絶対に起きない事象」ではありません。誰もがマニュアル通りにやっているつもりでも、手抜きをする方法を思いついたり、見つからないようにすればいいんだという雰囲気は必ず生まれ、多かれ少なかれ、全ての組織にそのような事象は起こります。
だから、「しっかりと指導する」なんていう、アホな文言で記者会見に応ずる管理職がいたら、「次からは見つからない方法を考えます」と言っているようなものなので、そのような会見を行おうとする人たちは気をつけた方がいいかもしれませんね。

事なかれ主義ではなく、本質的にいじめ問題を解決させようとしたら、どういう方策があるのか。
実は学校でも職場でも、一版社会でも、効果的ないじめ対策はただ一つしかありません。
それは、「問題を顕在化させること」なのです。

いじめが起こったとするならば、内々で処理するとかではなく、しっかりと手順に沿って、「誰と誰が当事者で、具体的にどのような嫌がらせ行為があって、なぜそのような行為が行われたのか」をきちんと聞き取り調査をして、一定期間(3年間とか)、その情報を保持すべきなのです。
それは一版社会でも同じですよね。会社内で上司がセクハラ・パワハラしたとするなら、会社の責任者や関係部署がきちんと調査して記録を保持しておくべきなのです。その聞き取り調査そのものが予防措置になるし、次に同様の問題が生じないための方策にもつながります。

以前、私はある学校経営者から、大手ネット掲示板に生徒や教職員の名誉毀損情報を書かれて困っている旨の相談を受けたことがあります。私はそういう輩(書き込みを行う人)は、自分の名前が明らかになるまで、絶対に書き込みをやめないから、少々の予算を組んで、警察や裁判所を使ってでも戦うべきだと進言し、現実にその人物の名前が判明したのでした。
不思議なことに、このノウハウを持っている弁護士は多くありません。私の修士論文はまさにその電磁的記憶媒体の民事訴訟法的な証拠価値でしたので、その学校の弁護士から依頼されて、私が関係書類を作成するという、変な話になったのでした。
そしてやはりこの学校についての書き込みは止まり、書き込んでいた人物も判明したので、間もなく刑事事件に発展する見込みとなっています。

以上のことから、学校関係者に会社関係者など、いじめをめぐる問題を抱えているみなさんに、教育ジャーナリストとして申し上げておきます。

「今後、同様の問題が起こらないよう、しっかりと指導していく所存である」

……と、本気で思っているのであれば、今後は「問題が起こらないよう」にするとともに、「問題が起こったときにはこう動く」という手続きや手順を考え、問題(いじめや嫌がらせ行為)が顕在化するように規則を作っていくべきだと思うのです。これらは企業のコンプライアンス条項を策定する専門家などに頼むというのが一般的です。
必要であれば、私がノウハウを伝授した法律家も紹介しますし、問題を解決に導くための規則策定なども手伝います。

「ハインリッヒの法則」というものがあります。
これは労働災害における経験則で、一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在すると呼ばれています。
ハインリッヒの法則-ウィキペディア

もしみなさんのいる教育現場で、5件・10件のいじめ事件が発生しているとしたら、次に発生するのは「自殺」かもしれません。それが職場で5件・10件のセクハラ・パワハラ事件が報告されているとしたら、次には労働基準監督署が大騒ぎして立ち入り調査するかもしれません。

「教育現場はあくまでも教育現場であるべきで、職場はあくまで職場でなければなりません。人が死ぬほど悩みを抱えなければならない場所ではありません」と、私はみなさんに訴えていきたいと思います。
posted by まつもとはじめ at 01:51| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | いじめ問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

いじめはいじめられる側に問題があるのか

私の記憶によれば、私は小学校以来のいじめられっ子体質で、その体質は今でも治っていないんじゃないかと思っています。「三つ子の魂、百までも」(3歳の子どもの性格は100歳まで変わらない)ということわざがありますが、その通りなんじゃないかと……。

よく考えてみれば、私は運動が苦手で学校の成績も特別良い方ではありませんでした。
なのに、振り返ってみれば、学校生活ではかなり異様なふるまいをしていたことから、変な意味で目立っていたし、いじめっ子の恰好のターゲットになっていた。学校生活で、少々変なことをしてもいいのは、運動会で活躍できる子か、頭の(学業成績)良い子と相場が決まっているのに、その相場に従わずに変なことをしていれば、そりゃ目立つし、突っ込みたくもなるだろう。
よく考えてみると、周囲の空気を読まず(読めず)、自分の主張を押し出してしまうこの癖が元凶なのかもしれません。

今になって思うと、周囲の空気を読まず、変なことを口走ったり、自分の思うことを実行したりするというのは、確かにいじめのターゲットです。それでいて腕力もなければ学業も適当となればなおさらです。

空気を読めない発言をするということは、時として人を傷つけることもあるわけです。そんな人が近くにいたら、とりあえず無視するだろうし、うるさかったら「おまえはウザイ」と言うだろうし、しつこかったら殴りたくもなるでしょう。空気の読めない人に、「もう少しこのコミュニティの空気を読め」というメッセージが、一つのいじめの原因といえます。
だから、経験者として述べるなら、いじめを受けて悩んでいる人は、まずいじめの原因が自分に無いのか、きちんと省みるべきだと思います。

ここまでは、よくある「いじめられるお前にも原因があるんじゃねーの?」で済ませる話です。

しかし問題は、そのいじめのターゲットにされた人が、そのターゲットにされた理由を告げられないまま、省みる機会も与えられないまま、またはターゲットにされた理由を改善しているのにもかかわらず、理不尽ないじめを受け続けるということです。もちろん、ターゲットにされた理由は単に空気を読まない行動もあれば、身体障害によるもの、顔や体の問題など、どうやっても改善できない問題を抱えている人もいます。

いじめられる側にいる人にとって、いじめを受けても仕方のない自分自身の原因が50として、その50までのいじめを受けるというのなら因果応報というか、「目には目を」で説明がつきます。
しかし、50に対して100とか、10に対して100など、不均衡ないじめに対して、いじめられた側の人はどう対処すべきなのでしょうか。

これが学校で起きた問題であれば、私は躊躇せずに「不登校」を選ぶべきだと思っています。少なくともこの行為で問題が顕在化します。普通の教師であれば、「何か原因があるはずだ」とわかるはずです。そして、躊躇なく教師に言いつけるべきだと思っています。できることなら弁護士を介入させて、法的な行動をとるべきだと思っています。

これが一般社会で起きた問題であれば、私はやはり躊躇せずに「法的手段」を選ぶべきだと思っています。
法的手段は、警察・弁護士・裁判所などを使うことから、「大げさ過ぎやしないか?」と疑問を持つ人も多いと思います。学校内のような、未熟な人たちが集まる場所でのいざこざなら、最初から警察に頼るのはよくないというローカルルールもありだとは思いますが、一般社会であれば、もう告げ口する相手もいないのですから、当然の行動だと思います。

ちなみに私は19歳の時に、大学のサークルで飲酒を強要され、そのサークルを退会するという手段を取りました。飲酒を強要した側は、「大人としてのたしなみを教えてやった」のかもしれませんが、私の受忍限度を超える強要はたしなみも何も、人間関係を円滑にするしないの問題を通り越しています。そして私は学長宛に手紙を書きました。法学部を有する大学で、20歳未満の学生に飲酒を強要するのはいかがなものかと。私の手紙が契機かどうかはわかりませんが、その後、神奈川大学は本格的に飲酒の「強要」には厳しくなり、学生の飲酒で多数の問題が発生する学園祭を3年間に渡って取りやめることになりました。学園祭の中止は学生にとっては不満だったかもしれませんが、私の行動が契機だとすれば、私の行動によっていくつもの命が救われたはずです。

あと、以前、私のブログで「殺す」と脅迫してきた人は、警察の捜査でドコモの携帯からの発信であることがわかり、IPアドレスから所有者を特定したところ、とある役所の職員でした。もちろん、彼は私を本当に殺す気はなかったと思いますが、私は厳罰を求めました。結局、彼は責任をとって辞職し、逮捕も免れて起訴猶予となりましたが、あれを放置すれば本当に殺人者となっていた可能性もある(大したことない脅迫に驚いて自殺する人がいます)わけですから、結果的に私は彼が人殺しになるのを防いだと自負しております。
なお、被害者がきちんと処罰意識を持って警察に通報(被害届・告訴状の提出)をすれば、仮に微罪だからという理由で今回は捜査がなされなくても、記録は残る訳ですから、同じことを行ったら次は逮捕となるようです。

余談が多くなってしまいましたが、結論です。
「いじめ」は間違いなく、「いじめられる側」に問題があります。この場合の「問題」とは、「原因」と同義です。
しかし、その問題を解決するために、暴力やその他様々な嫌がらせを用いるのは間違いです。もし誰かが不愉快な態度を取ったのであれば、せいぜい口喧嘩で済ませればよいのです。
そしてその「いじめられる側」になってしまった人は、絶対に放置せず、勇気をもって「不登校」を決め、教師への「告げ口」、そして警察への「通報」をしましょう。いじめられっぱなしで放置すると、いじめた側が別のターゲットを見つけてエスカレートするだけではなく、今度はいじめられたあなたの心に「嫌なことがあったら自分より弱い者を見つけていじめればいいのだ」という思いが目覚めてしまうのです。
いじめられたら、いじめた者をきちんと更生させるため、相応の手続を踏む。そのために司法制度や司法機関があるのです。
「いじめられる側の問題」を、より弱い「いじめられる人」に連鎖させないため、きちんと法的手続をとりましょう。

ちなみに私は、こんなことは絶対に無理だと思っています。著者の方、ゴメンナサイ。
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いじめはなくせる―教室ですべきこと [単行本] / 大西 隆博 (著); アニカ (刊)
posted by まつもとはじめ at 19:36| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | いじめ問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする