2012年08月27日

学歴は現代のカースト制度なのか

学歴のことを論じ始めると、必ずと言っていいほど、こんな意見が出てきます。

まず、大学へ行くか行かないかについて。

「今どき、大学くらい出とかなきゃ就職できないでしょ」
「大学全入時代に大学へ行けないのは貧乏人かバカ」

そして大学へ行く選択をした場合の大学選びについて。

「マーチくらい行かないと…」
「旧帝大を出て初めて偉そうにできる…」

さらに、通信制をめぐる大学選びについて。

「誰でも行ける通信に意味なし」
「通信を大学と思うな」

  ↑
みなさん、こんな話を聞いたことありませんか?

「大学へ行こうかな?」とおぼろげに思って誰かに相談すると、まだ社会経験も乏しいはずの友人たちから、ビックリするくらいいろんな意見を浴びせられます。

私も一応、塾講師時代があるので、受験生が偏差値だの大学名だの、こだわる理由はわからなくもないし、愛するエール出版社が発行する島野清志『危ない大学・消える大学』では、偏差値や社会的な評価を数値化した一覧表が載っています。どうせ進学するのなら、どこの大学を出ておくのが最も良いのかという評価を掲載し、エール出版社の鉄板商品となっています。

危ない大学・消える大学 2013年版 (YELL books) [単行本(ソフトカバー)] / 島野清志 (著); エール出版社 (刊)
危ない大学・消える大学 2013年版 (YELL books)


私も過去に読んで、すごいなぁ…と思いつつ、この考え方に、ずっと私は違和感を持っていました。

私は大学進学予備校のようなところに行ったことがないので、実は大学の選び方なんてものはよく知りません。
早稲田や慶應がカッコいいのは知っていても、川崎の当時の底辺高校出身の私としては、「どこでもいいから行ければいい」という理由で立正大学の二部に入学したのですから、カッコイイかどうかの問題ではないのです。

その後、神奈川大学法学部へ入学した私は、同級生がやたらに大学名の話題をしているのに驚きました。
偏差値なんてものはほとんど意識していなかった私ですが、神奈川大学は偏差値からすると、「日東駒専」(日大・東洋・駒沢・専修)と呼ばれる大学カテゴリと同等だったらしく、「もう少し頑張れば六大学を狙えた」、「代ゼミ模試で早稲田の合格見込み80%だった」、「慶應の補欠まで行ったが合格には至らなかった」といった、逃がした魚は大きかった話を、散々聞かされました。

一方、私は神奈川大学法学部の、当時「B方式入試」と呼ばれた、小論文と英語だけで受験できるところを受け、補欠で合格したのでした。小論文には点数をつけることはできても、一般的な偏差値に換算することはできないでしょうから、どう評価していいのかわかりません。
翌年、赤本を入手し、自分が受験したときの情報を読んでみたら、同学部の偏差値は55くらいで、競争率は12倍だったことから、まぁ、そこそこの成績だったということになるのですが、直前に受けた模擬試験では偏差値25なんてすごい数値を取ってしまったことからも、私は少なくとも大学入試に合格できるスキルは持っていなかったことになります。

しかし、そんな私も4年間在学して、無事に卒業した。
偏差値カースト制度に照らし合わせると、私は日東駒専と呼ばれる偏差値水準を死ぬまで維持することになり、「六大学」とか「早慶上智」とか「旧帝大」、「マーチ」(明治・青学・立教・中央・法政)なんて呼ばれる偏差値区分のようなカテゴリに当てはめると、私はちょうど真ん中当たりに位置するはずです。

私はこの学校群の区分について、よく知りませんし、知る必要もないと思っていますが、どうも「マーチ」と比較すると私の「日東駒専」よりも「マーチ」の方が上位に当たるようです。

しかし、こんな質問をしたとき、みなさんは正しく回答できますか。

「日東駒専の大学教授とマーチの大学教授、どちらが優秀でしょう?」
「日東駒専の学生とマーチの学生、どちらが面白いでしょう?」
「日東駒専の学生が、受験し直してマーチの学生になったら頭良くなりますか?」
「マーチの学生が、受験し直して日東駒専の学生になったら頭悪くなりますか?」

私は単なる偏差値比較で、大学の良し悪しを決めてしまい、その格差が一生有効というのは何かおかしいと思っています。

まして、たかが入試偏差値だけの比較です。
「大学で何を専攻したか」、「優の多さ」、「どんな研究をしたか」じゃなくて、入学時の偏差値ですよ。

入試偏差値の良し悪しが一生の身分・階級を決めるって、何かおかしくないですか。
例えば18歳の学力が全てを決めて、その後の4年間、大学で何を学んだのかを与されずに階級が決まってしまうんです。

ある試験が人の一生を決めるというのは、一定の合理性があります。
やはり試験を課して、一定の得点ができるというのは優秀さの証ですから。試験で高得点が取れる人は、きっと研究もできるし、仕事もできるのだから、試験による階級制度は合理性があるのです。

しかし、それなら、偏差値を判定する代ゼミが階級を決めるってことですか?
大学入試センターによる試験の採点が、身分を決めるってことですか?

すると、大学に入れさえすればいいので、その後の4年間の在学は不要ってことですよね。

マーチとか日東駒専という階級社会・身分社会のようなものは、上位に位置する人にとっては面白いのかもしれません。しかし、こんなくだらない階級制度に一喜一憂するなんて、おかしくないですか?

こんな無意味な身分制度・階級制度って、私が「著書10冊以上は売れっ子プロ作家」と冗談を言っているのと大差ありません。
むしろ他人を巻き込んで、無茶な階級制度をごり押ししているだけ、大学の階級の方が害悪です。

私が在学していたころ、私の地元では、神奈川大学と関東学院大学とどちらが優秀か……なんてくだらないことで競り合っていました。
しかし、これって、昔はやった、「BE-BOP-HIGHSCHOOL」の愛徳学園と立花商業と城東工業と戸塚水産のケンカの強さ比べみたいなものじゃないですかね?

何だか、考えていることはチンピラ高校生のケンカの強さ比べと大差ないというのが、妙に悲しいのです。

みなさん、入試の偏差値って、そんなに大切なんでしょうかね??

この記事はこちらからの転載です。
posted by まつもとはじめ at 04:25| 神奈川 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 学歴と社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

自殺しようと思っているあなたへ

この記事は、夏休み終了目前の小学校、中学校、高校に通うみなさんにメッセージですが、自殺を検討している全ての人に、ちょっと一言申し上げようと思って書きました。

以前、私がブログで書いた言葉で自殺を思い止まったという報告を受けたことがあるので、今夏はひとネタ考えて書いておきます。


夏休みの宿題を苦に自殺なんかしないでください

学校で出される、夏休みの宿題って、恐怖ですよね。
できることなら、きちんとスケジュール通りにこなして、きちんと仕上げて、できれば頭も良くなって、期日通りに提出して、先生にほめてもらいたいと思いますよね。
しかし、長い夏休みをダラダラと過ごしてしまって、今頃になって怖くなり、頑張って宿題をやっている人も多いはずです。
宿題を提出しないと、先生に怒られるかもしれないし、成績も下がるかもしれません。
もちろん勉強を頑張ること、そして締め切りに間に合うように頑張ることは大切です。しかし、ワークブック・問題集を目の前にして、参考書を買ってきても、分からないものはやっぱりわからないのです。
実は私、自慢じゃありませんが、夏休みの宿題を全部きちんとやって出したことなんて、一度もありません。
実は私は勝手に都合よく、「夏休みは休むためにあるものだ」と解釈して、ろくに宿題をやらない生活を送っていました。
小学校の時はどうだったか忘れましたが、中学・高校の時は本当にサボっていました。
確かに、先生に怒られる恐怖はありました。宿題を提出しないことで先生に殴られたこともありました。

もし、大量の宿題を目の前にして、「もう死ぬしかない」なんて思っている人がいたら、思いなおしてください。
夏休みの宿題は、あなたの学力向上や維持のために課されるものですが、あなたを死に追いやるためのものではありません。

それでも、何も書いていないワークブックを提出するのが恐い人は、最初の1ページだけやって出しましょう。「全くやっていない」のと「少しはやった」のとは怒られるにしても、違いがあります。「やろうとしたけど、わからないのでやれなかった」という言い訳ができるじゃないですか。

また、「自由研究」などという、教師が怠けるためにあるような課題を課されたら、レポート用紙2枚を用意して、以下のように書いてしまいましょう。

1枚目
「自由研究 ─ 自由研究の意義について。」

2枚目
「自由研究は、児童や生徒が自由に研究を行うことで、学術の発展の礎を作るものである。ただし、自由研究は自由な研究であることが前提であり、研究する自由もあれば、研究しない自由もある。優れた研究をする自由もあれば、稚拙な研究をする自由もある。長い文章を書く自由もあれば、レポート用紙2枚で終わらせる自由もある。」

私は中学校の理科の自由研究で、「自由研究をやってこなかった者はビンタ」などと強制された時、こんなレポートを出したことがあります。先生は絶句していましたが、このレポートを出してビンタするのなら、それはルール違反です。(そもそも殴ること自体が良くないことなんですけど)
これは教師をバカにしたレポートかもしれませんが、そもそも「こうあるべきだ」なんて研究は存在しません。どうしても何か調べて来いというのなら、やり方や書き方を示すべきなのです。


またいじめられる恐怖を苦に自殺なんかしないでください

あなたがいわゆるいじめられっ子だったとしたら、長期の休み明けは、再び訪れる恐怖の学校生活の幕開けです。
親に心配かけたくないから学校へは通うけど、学校にはあなたをいじめることでストレスを発散しようとする同級生がいます。

しかし、その恐怖を苦にして自殺なんかしないでください。

ハッキリ言いましょう。今年の夏こそ、いじめを克服するチャンスです。
日本全国でいろんないじめが発覚しました。自殺者も多く報告されています。非常に残念なことではありますが、「マスコミで大きく報道される」というのは、いじめられっ子にとって、千載一遇のチャンスなのです。
そのせいで、今までは大目に見られていたちょっとした暴行も、警察に届ければマスコミが報道します。教師もいじめの起こりそうな環境を改善しようとします。

そしてその具体的な方法が不登校です。いじめが怖くて登校したくないのなら、学校へ行かなきゃいいのです。
不登校になれば、親や先生が「なぜ登校しないのか」と聞いてくれます。
聞かれたら、わざと深刻な顔をします。目に涙もためます。そして、時間をかけて親や先生に話すのです。
こうすると、「チクったことでまたいじめられるかもしれないので本当は言いたくなかったけれど、問い詰められたので、仕方なく先生に言った」ということにしましょう。

そして、いつ、誰に、どういう暴行をされたのか、どういう意地悪をされたのか、きちんと書いておきましょう。ノートに鉛筆書きでも構いません。それは後で証拠になるのです。

いじめた人は、たいてい、いじめたことを自覚しています。だから先生にチクられることを嫌がります。人に散々嫌がらせをしておきながら、その事実がばらされそうになると、必死になってその証拠を隠そうとします。同級生に「絶対に言うんじゃねーぞ」と脅すこともあれば、「俺たちはただふざけてただけだよな」と言い張るチキン野郎も多いのです。
「かわいそうだから」とか「同級生同士の問題に教師や警察が関わるのはどうも」なんて甘い顔を見せると、彼らはまた同じことをやらかします。前に甘い顔を見せたことを既成事実や前例として、「普通はチクらねーよな」、「これくらいのことで警察はやり過ぎだよな」なんて言い訳をするようになります。

そこで「夏休み明けからいじめを受けそうだ」という人にアドバイス。

自殺を考えているくらいなら、とにかく学校は休んじゃいましょう。学校はあなたの成長をサポートするために行く場所です。学校へ行くことであなたが死ぬのなら、行かない方がマシです。
もちろん、ただ「行かない」というのはけっこう大変ですが、あなたが死ぬことに比べたら、教師も親もまじめに対応してくれるはずなのです。


それでも自殺しかないと思う人へ

自殺願望にもいろんなものがあると思いますが、もしあなた自身が「本当は死にたくないんだけど、もう自分には死ぬしかない」と思っているとします。
「死にたくないけど死ぬしかない」ということは、生きていればそれなりに楽しいはずなのだが、自らを死に追いやる原因があるから死を考えてしまうということです。

当たり前のことですが、自殺の原因、つまり「その死に追いやる原因を取ってしまう」ことで、あなたの苦しみは軽減されます。
そしてこの苦しみのほとんどは、薬で解決できます。

私は別に医師ではありませんが、過去に大切な友人を2人、自殺で亡くした経験から述べると、2人とも、自殺の直前には深刻な鬱病を患っていたと思われます。鬱病というのは、ものすごく気が沈んだ状態で、自分には夢も希望も無く、生きていてももうダメなんじゃないかと思い込んでしまう感じになることです。
私の知る限り、自殺する人の多くは、この状態が長く続いたり、極度に深酷な状態になってしまう人が多いのです。

人に相談したくても、適当な相談相手がいないとか、いまいち分かってくれてないというケースもあるでしょう。
そんな時には少しだけ勇気を持って、医師にかかってみてください。
本当は診療科目に「精神科」があるところへ行くのが良いのですが、いきなり精神科というのは嫌でしょうから、まずは「心療内科」や「神経科」などにかかってみるのが良いと思います。
風邪をひいたら風邪薬をもらいに病院を受診するのは普通だし、歯が痛ければ歯医者へ行く。これくらい気軽に考えて、ちょっと気分が滅入っているという理由で心療内科などへ行って、試しに軽い安定剤などを処方してもらうというのはどうでしょう。



どうしても自殺したい人の自殺を止めさせる方法なんて私にはわかりません。
しかし、本当は自殺したくないのに、自殺を選んでしまう人がいるのなら、この記事を読んで、試しにちょっと実践してみてほしいのです。
この記事が、実質的な人命救助になるのであれば、私は本望であります。
posted by まつもとはじめ at 04:49| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自殺の予防 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月24日

高卒の従業員が採用後に大卒になった時の待遇

大学評価・学位授与機構からは、今年の4月申請の人たちの学位記が届き始めているようです。

合格したみなさん、おめでとうございます。ぜひこの学士を使って、より高度な学びを実践したり、より良い職に就かれることをお祈りします。

残念ながら不合格だったみなさん、懲りずに何度でも挑戦してください。
今回のあなたのレポートを審査した先生が、たまたま今回だけ厳しめに採点したという可能性もあります。

さて、私の著書『短大・専門学校卒ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本』をめぐってしばしば議論になる「機構の学士は大卒か否か」の問題は、実は「就職の時に大卒として処遇されるのか」ということでも意見や判断が分かれます。

短大・専門学校卒ナースが簡単に看護大学卒になれる本 改訂3版 ─総予算25万円で看護学士に!大学評価・学位授与機構活用法 [単行本(ソフトカバー)] / 松本 肇 (著); 秋場 研 (監修); エール出版社 (刊)


機構の学士は就職活動で大卒扱いをされるのか

この質問に関しては、日本の「新卒一括採用」という、特異な就職制度もあって、ちょっとややこしくなります。

例えば、高校を卒業して3年制の専門学校に進学・修了してすぐに放送大学の選科履修生などで31単位を修得した人がいたとします。専門学校を修了後の4月に放送大学へ入学し、破竹の勢いで31単位を修得し、半年後の10月に学位授与機構に申請したとしても、学位授与機構は受理してくれません。
3年制の短大・専門学校(第2区分)を基礎資格とする場合は、卒業・修了の時から起算して「1年以上にわたって学修せよ」ということになっています。
ちなみにこの「1年以上の学修」というのは、1年間は履修登録しろという意味ではなく、「機構に申請するのは1年後から」という意味です。

すると、2010年4月に3年制の看護専門学校に入学した人は、2013年3月に修了。その時から1年後に申請資格を得るということは、最短で2014年4月に申請し、8月に学位記を入手できるということになります。
つまり、とんとん拍子に行ったとして、学士を得ることができるのは高校卒業から数えて4年半後ということになります。よって、4年制大学をストレートに卒業する人に比べて半年遅く学士を取得することになります。

ただし、短大専攻科や高専専攻科の卒業生は、例外的に専攻科の卒業見込みで申請できるため、4年制大学と同じタイミングで学士が得られますが、専攻科を利用するケースは激減しているため、ここでの説明は割愛します。

つまり、学位授与機構の学士は、4年制大学に比べて「半年遅い」というハンディキャップがあり、「新規学卒」の「卒業」に該当するかどうかと考えると、ややこしくなるため、一般企業では「ややこしい学歴の人がきた」と、あまり印象が良くないかもしれません。
また、リクルートなど運営する「リクナビ」など、ウェブの就職サイトでは、学位授与機構のような例外的なものは学校種類にも掲載しておらず、大学名一覧にも無ければ、短大・高専専攻科についても掲載がありません。

それでも、積み上げ単位を修得するために科目等履修生として在学した大学名を入力し、その後の面接などで事情を説明して理解してもらったというケースを取材したことはあります。

つまり、学位授与機構は、新規学卒採用で就職するためには、決して適当な学歴ではなく、説明や先方の理解が必要な、イレギュラーな「大卒」ということになります。
もっとも、イレギュラーだから大卒ではないと言い始めたら、外国の大学を卒業した人などは、全てイレギュラーだし、説明も必要だし、その国の高等教育制度まで説明しなければならない訳ですから、想定していた制度と違うからダメなどと、一概に述べることはできません。

さて、この記事の件名は「高卒の従業員が採用後に大卒になった時の待遇」であって、学位授与機構の学士の「大卒性」について述べるものではありません。
要するに、採用時の学歴が、採用後に変更された場合、どうなるかという話です。
もちろん、就職先と一口にいっても、大企業から中小零細企業、官庁や団体職員などもあるので、千差万別ではあります。高卒採用の男性が、放送大学を卒業したら翌春から大卒待遇にしてくれたというケースもあるし、MBAや修士を取っても全く考慮してもらえなかったというケースもあります。

高卒採用の人が大卒待遇になれるとき

経営者の立場からすれば、高卒の人間が大卒になったところで、すぐに生産性が上がるわけでも無いのに高給を約束するなんて嫌だし、だいたい人件費が安いという理由で高卒を10人採用したのに、全員が大卒になって高給を約束したら2〜3人リストラしなきゃならないという事態に陥ります。
従業員の立場からすれば、大卒になったのだから大卒待遇をしてもらいたいのは当然だけど、その結果、今度は自分がリストラさせられる立場になるとすれば、高卒のままでいいという判断もあるでしょう。

また、人事業務というのは、単純に大卒を揃えればいいというものではありません。大卒には大卒としてのスキルを求め、司令塔としての役割ができる社員2人にサポート的な役割が適正な社員8人を付けて、10人のチームを組むなんてことをします。つまり、入社の時点で、ある程度の役割分担が決まっているため、個々人が学歴をアップグレードしたという理由だけで、そうそう大卒相当の立場に昇格させるなんてことは無理なのです。

働きながら学び続ける人に、昇進についての話を聞くと、「金の問題じゃない、学びたいんだ」、「生涯学習が自己実現なのだ」という回答が返ってくることがあります。もちろんそれはそれで良いと思います。私自身、教育制度関係の本を書くのに、いくつも学位を取っているのは金の問題ではありませんし、投資として考えると、元本割れしていますから。

しかし、私は、高卒採用や短大・専門卒採用の人が、単純に昇進・昇給を狙って大卒を目指すことを無意味だとは思いません。いや、むしろ、高卒採用の人は、通信制でも夜学でもいいから、大卒やそれに類する学歴を取っておいた方が、はるかに有利だと私は思います。

なぜなら、雇用の流動性が、様々なチャンスをもたらすからです。
ある企業のある部署で、大卒2人、高卒8人で成り立っているところがあったとします。あなたは高卒採用のうちのひとりだとします。もしここで、その部署で突発的な問題が生じ、大卒2人が辞めてしまったとしたらどうなりますか。寿退社、産休、逮捕された、死んでしまったなど、計画に無かった事情で欠員が出てしまう場合です。
企業としては、今まで、大卒2人、高卒8人でやってきた部署なのだから、大卒の従業員を連れてきたいところですが、大卒だからといって全くの門外漢を連れてくる訳にもいきません。しかし、高卒の中から1人を昇格させるとしても、大卒者を責任者にしてきた慣例を無視して昇進させるほどの適任者がいない。そんな時、あなたが高卒採用で就職後に通信制大学を卒業していたらどうでしょう。「大卒者だから」という大義名分が与えられ、昇進のチャンスが訪れます。
しかし、そのためには、会社に対して、「自分は高卒採用だが、通信制の大学を卒業した」ことを事前に告げていなければなりません。ただし、あなたは謙虚にこう言っておくのです。

「私は大卒になりましたが、高卒の待遇で構いません。大卒が必要になった時に思い出していただければそれで十分です」

そう、大卒になったからといって、あなたは偉ぶりません。一応、会社に報告するだけです。ただただ、会社に対して「都合のいい人」であり続けるのです。

もちろん、あなたが大卒になった瞬間、ものすごい大天才に変身し、仕事でも何でもこなせる大人物になれるというのなら、転職してもいいし、会社に「大卒待遇にしろ、ダメなら退職する」と要求してもいいです。
しかし、仕事があるだけマシなこの就職難の時代において、正社員として雇われているということ自体、幸せなことなのです。
4年制大学を卒業しても就職が決まらない人が多い中、高卒で就職して、働きながら安い学費で大卒になれたのですから、「必要があったら役に立たせてください」という立場で良しとすべきなのです。

もちろん、少しばかり偏差値が高くても、周囲の高卒の人たちがバカに見えても、あくまで謙虚にふるまうのです。マーチだ旧帝大だなどという話は、高卒の人から見ればただの自慢にしか聞こえませんから、そんなくだらない話はしないように努めます。
そして、大学で学んだ教養を武器に、職場の良いまとめ役になるのです。

すると、ある日、突発的な事情で部署のリーダー(大卒)たちがいなくなった時、あなたに昇進のチャンスが訪れます。
ふだんから謙虚で、大卒・高卒の分け隔てなく、職場をまとめてきたあなたを蔭でコソコソ言う人はいないし、あなたを昇進させた上司も「仕事はできるし、大卒だから昇進させた」という説明ができるので、責任を問われることもありません。
こうして、あなたは安い人件費だから高卒で採用されたはずなのに、今では大卒待遇で仕事のできる人材として期待されるようになっています。

「大学全入時代」といわれる現代において、大学を出ていないというのは、就職活動において一見不利です。しかし、大学を出ているからといって、今の日本経済の中ではなかなか就職させてもらえないのですから、職種によっては低学歴の方が雇ってもらえる可能性が高いこともあります。これは特に専門学校が顕著ですね。
しかし、その低い学歴で就職した人が、いちおう大卒になっておくことで、ある日突然昇進の機会を得ることができるのです。もちろん、仕事ができるだけでなく、同僚の妬みを感じないよう、「いい人」でいることが大切なのです。

ちょっと頭がいいからといって偉ぶっている人。他人を小馬鹿にする人。
地位が高いからといっていつまでも他人の功績を認めない人。
蔭に隠れて人の悪口を言い、自分の価値を高めようとする人。

……こんな人って、学歴云々の前に、あまり付き合いたくないですよね。

そう、学士が大卒とイコールかどうかなんて、ハッキリ言ってどうでもいいのです。
社会人が後から取る大卒や学士は、「仕事のできる人が、昇進を検討された時に、大義名分となり得るかどうか」だけの話なのです。

以上の理由から、私は社会人の大学・大学院進学をお勧めします。
そして「いい人」となって、より良い人間関係を築ける人が増えてくれればいいなぁ……と切に願っております。
posted by まつもとはじめ at 04:42| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学歴と就職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

外国人学校の高校無償化の問題点

民主党が政権公約として掲げてきた高等学校の授業料無償化について、2010年4月から実現されていますが、この「高等学校」に外国人学校を含めるかどうかについて私には意見があります。

報道などによると、特別永住権を有する北朝鮮出身者の子孫、つまり在日朝鮮人を対象にした、朝鮮学校高級部を現行法上の高校としてみなし、無償化の対象とすべきか否かについて、さまざまな理由から反対意見が出されていましたが、この私も、現行法上のままでの無償化の対象とすることには反対の立場です。

  ↑ ↑
賛成でも反対でも、ここだけ読んで感情的にはならないでください。特にツイッター経由の方で、冒頭部分だけ読んで反応される方がいるので、気をつけてください。

各種学校と専修学校
朝鮮学校高級部について、私は全てについての調査をしているわけではありませんが、例えば神奈川県横浜市神奈川区の神奈川朝鮮中高級学校は、学校の種別としては「各種学校」です。各種学校は、都道府県知事の認証する正規の学校区分です。

一方で、我が国には各種学校の上位にあたる「専修学校」という学校区分があり、更にこの専修学校には、専門課程、高等課程、一般課程の3つの区分があります。
このうち、「高等課程」で修業年限が3年以上の課程については、修了者に大学入学資格を与えることから、事実上の高校に該当し、高校授業料無償化(または助成制度)の対象となります。
現在、各種学校と専修学校の違いは、主に修業年限や授業時数の違いなどであることから、当該朝鮮学校も専修学校に昇格させ、当該高級部を3年制の高等課程にすればよいだけなのですが、神奈川県にこの事情を質問したところ、学校教育法82条の2に「我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く」という例外規定があるため、専修学校に昇格させることができないという回答を得ました。
つまり、現状において朝鮮学校高級部は、各種学校であり続ける限り、修了者に大学入学資格が付与されない問題もあいかわらず存在します。大学入学資格を付与できないまま、国が無償化の対象としてしまうと、大学入学資格を付与できないのに学費を助成するという矛盾が生じます。よって、現行法上のままでの無償化は反対です。

このような事情を勘案すると、無償化云々の話ではなく、まずは学校教育法82上の2の例外規定を削除する方が先決です。この規定を削除すれば、当該朝鮮学校高級部が専修学校高等課程昇格の途を選ぶことができる訳ですから、正規の高等専修学校になります。

しばしば、本件をめぐる議論の中で、本国の指導者やその政治手法、国交の有無を挙げ連ねて批判することがあります。しかし、本来は政治と教育とは無関係ですし、そこに通学する生徒たち(15〜18歳)は本国と我が国のいずれの選挙権もなければ、20歳を満たしていないのだから日本における制限能力者であり、まして国籍を有する外国の指導者の動向について責任を負う立場でないことは明らかです。

私は朝鮮学校の学校区分についての改正が無く、上述の政治的な問題で大学入学資格も無償化の対象にもならないというのは、ただ彼らの被差別感情を煽るだけで、決して良いことだとは思っていません。

以上のことから、学校教育法82条の2の例外規定を削除すべきだと思っております。

学校教育法
(目的・修業年限・授業時数及び定員)
第82条の2 第1条に掲げるもの以外の教育施設で、職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、又は教養の向上を図ることを目的として次の各号に該当する組織的な教育を行うもの(当該教育を行うにつき他の法律に特別の規定があるもの及び我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く。)は、専修学校とする。
 一 修業年限が1年以上であること。
 二 授業時数が文部科学大臣の定める授業時数以上であること。
 三 教育を受ける者が常時40人以上であること。
posted by まつもとはじめ at 19:06| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 高等学校/高卒認定試験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

「准看護師」は看護師なのか看護師ではないのか

「准看護師は看護師なのでしょうか?」

この質問をすると、いろんな立場のいろんな方々がいろんな意見を述べると思います。

その意見を集約すると、2つに分けられると思います。

「准看護師は「准」が付くのだから看護師ではない」
「いや、看護師という大枠の中の分類として看護師と准看護師が存在するのだから看護師だ」

別にどうってことはない議論に、わざわざブログで説明をする必要は無いのかもしれませんが、まぁ、せっかくこのページに来たのですから、お付き合いください。

まず、看護師と准看護師には、それぞれの国家試験を受験する前提条件となる学歴区分があります。
簡単にいうと、中学卒業者を対象にした看護の学校を卒業した人が准看護師。高校卒業者を対象にした看護の学校を卒業した人が看護師です。また、准看護師資格を持った人が入学できる、「進学コース」と呼ばれる課程もまた、卒業すれば看護師となります。
この計算でいくと、准看護師は最短で17歳、看護師は21歳で資格が取れることになります。

※読者からの指摘で、「高等学校専攻科(一貫五年コース)修了」であれば20歳で看護師になれることがわかりました。すみません!

看護学校の入学資格が違い、准看護師の免許状は都道府県知事が発行し、看護師は厚生労働大臣が発行することなどの事情、そして保健師や助産師資格を取得するためには看護師資格を持っていることが前提とすることなどから鑑みると、やはり看護師と准看護師の資格は明確に違いがあります。
だから、少なくとも資格の種別として考えるのなら、准看護師は看護師ではないのだと思います。

しかし、それは看護業界、医療機関の内部の事情であって、医療機関を訪れる患者の立場からすれば、看護師も准看護師も全く同じです。熱や血圧を計りに来てくれた目の前の人が、普通に考えれば看護師であろうことは理解できても、仕事ぶりを見て、正准どちらかなんてことは、気にもしません。もちろん、仕事ぶりを見れば、放射線技士や理学療法士とは区別がつきます。

私は看護師ではありませんから、現実の医療機関での看護師と准看護師の業務内容の違いはわかりませんが、准看護師経験のある人から話を聞く限りでは、看護師も准看護師も業務の内容は基本的に同じであるが、基本給や昇進の可能性などで差異があるようです。つまり、この待遇について一言で述べるとすればこうなります。

「准看護師は中学卒業でもなれるレベルの低い看護資格だから、給料も低いし昇進しにくい」

これはごく普通のことかもしれませんが、私はこの部分に違和感があります。
医療機関において、同じ看護という職種の人が、「他者よりもレベルが低いこと」を前提に、同じ仕事に就かせて良いのでしょうか。
「医師」と「研修医」のように、明らかに経験年数が違う場合はともかく、例えば同じ35歳の看護師と准看護師がいたとします。看護師は高卒後3年間の養成課程を経るので、最短で21歳だから勤務年数は最大で14年。准看護師学校は、働きながら通うことも可能で、15歳から勤務ができるので、無資格時代も含めるとキャリアは20年、有資格者としてなら18年とカウントできます。勤務年数でいえば明らかに准看護師の方が長いのに、一律に准看護師を「レベルが低い」と割り切ってもよいのでしょうか。

例えば建築士の世界のように、「一級」>「二級」>「木造」 と、建築設計(確認申請)の範囲が明確な資格であれば、ふだんの仕事が同じであっても一級と二級の基本給が違って当然のようなイメージがあります。しかし、看護師と准看護師のように、業務の範囲が明確に分けられているわけではないものが、違う雇用条件で共存しているというのは、何かおかしくないでしょうか。

准看護師の「准」は、辞書でひくと「準」という字と同義だそうです。
法律用語で、「準ずる」とか「準用する」という言葉は、「同じに扱う」という意味です。
つまり、看護師に準ずるのだから、准看護師は看護師と同等に扱わなければならないはずです。
ところが、同等に扱うのは日々の業務内容であって、給与には格差があるというのは、やはりおかしいですよね。

こんな理屈ばかり考えていると、英検1級と英検準1級は同じかどうかとか、準優勝は優勝と同じなのかとか、明らかに差のあるはずのものが同じとなってしまうので、だんだん屁理屈に聞こえてきますが、何か言葉の使い方次第で、准看護師の人は都合よく使われているような気がするのは私だけでしょうか。

ちなみに、こうした不均衡というか不公平を是正すべく、「准看護師制度を廃止せよ」という動きはよく聞きます。私も同じような意見を持っていますが、少し私にも意見を述べさせていただけるなら、こういう改正ができるのではないかと考えます。

(1)看護師養成の制度をきちんと見直すこと
(2)「看護師」と「准看護師」の業務内容を明確に分けること
(3)現行の准看護師の看護師へのアップグレードを一定の条件のもとに緩和・簡略化させること
(4)制度改正後は現行の「看護助手」というあやふやな職業の担い手を全て准看護師とすること

こうしたことを条件に、看護師と准看護師の業務をきちんと分け、看護助手のような人材を准看護師として認めることで、准看護師制度を存続させることが妥当なのではないかと思っています。

ところで、あくまで私の経験に基づく個人的な意見ですが、現行の准看護師制度は、これはこれで良い制度なのではないかという印象があります。准看護師制度の廃止を目指す日本看護協会などは、「医師会が安い人材を確保したいから反対している」と主張していますが、現実の医療機関では先ほど述べた「看護助手」というあやふやな立場の看護関係者が看護師に準ずる、それこそ「准々看護師」のような立場の人もいます。特に看護の知識が無くても、「看護」の名称のついた職員がいるというのは、何かおかしいような気がするのです。
また、准看護師は、特に経済的に恵まれない女性が働きながら、安価な学費で手に職を付けられる、貴重な資格なのではないかという印象があります。

どう改正すればちょうど良くなるのかはちょっとわかりませんが、うまい制度改正がなされることをお祈り申し上げます。

繰り返しになりますが、私は看護師でも准看護師でもなく、看護師に知り合いが多いだけの作家ですから、深刻な事情や現実を知らずに述べています。失礼に感ずるみなさんがいたら謝罪しますが、もしご意見などがありましたらお寄せいただけたらと存じます。
posted by まつもとはじめ at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 看護師/准看護師/ナース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする